愛国は一種の尊厳であり、また一種の信念でもある。国家利益に及ぶ重要問題に直面すると、一定の形式による理性的表現は愛国熱情の具体的表現である。最近、日本の右翼勢力は再び教科書改定で歴史を歪曲し、かつて戦争で大きな被害を受けたアジアと中国の人民の大きな怒りを巻き起こした。ここ数日、日本政府が右翼分子を放任し、中国人民の感情を傷つけたことで、中国の民衆は強い不満を表し、愛国主義の熱情が現れた。
半世紀あまりを経ても日本の右翼がまだこうした卑劣な行為をするのは、非常に複雑な歴史、文化的伝統、現実的な原因がある。それは日本の戦争に対する深い反省が乏しいことと、アジア地域政治構造がここ数年来で変化してきたことである。特に中国の急速な発展と米国のアジア戦略が日本の歴史や中国に対する姿勢に一貫して影響を与えている。これら異なる次元の原因がさまざまに交錯し、日本に右傾化の思潮を出現させた。民族の尊厳と民族の感情がひどく傷つけられた時、われわれは当然自らの義憤を表すべきである。しかし、義憤だけを表すのでは足りない。法制に反したいくつかの過激な行動もまた問題の解決には役立たない。
歴史の経験はわれわれに、愛国は熱情ある表現ではあるが、国家と民族の利益を守る大局から出発することがさらに重要であると教えている。国を愛するには激情が必要だが、さらに理性も必要なのである。義憤を表す時、一部の過激な言葉と行動を避けるのは難しい。しかし義憤の発揚は法を越えるべきではなく、非理性的で無秩序な行動は日本右翼の真の姿を暴くことに役立たないばかりか、かえって揚げ足を取られ、右翼分子が中国を攻撃して日本の民衆をだます口実を増やし、さらには中国との友好を心から願っている友人も傷つけてしまう。
われわれは日本右翼勢力のここ数年来の台頭が一定の社会的基盤を持っていることにも着目するべきである。この基盤を変えるには、義憤と激情だけでなく、さらに知恵と自信も必要であり、長期にわたって苦しい努力をしなければならない。かつてユダヤ人はナチス・ドイツの罪悪を暴き出し、世界人民にナチスの危険を理解してもらうため、多くの入念な仕事を地道に進めた。彼らはナチス・ドイツの人類に反する犯罪を深く入念に暴き出し、戦犯への追跡の手を緩めなかったことで、ナチス分子を世界において帰る家のない野良犬にした。第二次世界大戦への反省がドイツと欧州社会の各層に浸透したことは、ユダヤ人の努力なくしてあり得ない。
例えば今、「アウシュビッツ」は地名としての意味をはるかに越え、この地にあった毒ガス室強制収容所が20世紀におけるジェノサイドの象徴となった。歴史学、哲学、神学、文学など多くの人文科学において、それは一つの学術名詞だけでなく、人類が歴史の苦難と人間性を再認識することを意味する。その上、戦後におけるこれらの学問の発展において、そのほとんどにユダヤ人の残した深い足跡を見ることができる。現在のアジアおよび国際政治の構造と当時のそれとは異なるが、道理は同じことだ。この分野で、われわれ中国人も多くの自ら体得したものを有している。当時、撫順戦犯管理所で教育を受けた旧日本軍将校は、最終的にはその多くがしっかりとした反戦主義者となり、日本の一部の若い人たちは彼らの影響を受けて今、右翼に反対する最前線に立っている。戦犯の改造と教育を通して、中国人民は大きな理性の力を見せたのだ。
中国の発展は平和的環境を必要としている。隣国としての日本が歴史に対する反省が乏しく、中国の実力に対する疑念を強く持つことが、一定のトラブルをもたらすのは間違いないだろう。しかし、経済グローバル化の絶え間ない深化に伴い、中日間の連携もさらに緊密になっているのが趨勢だ。現在、中日間の経済貿易交流はその数も額も大きく、今後は経済貿易はもちろん、さらには文化など多くの分野でも交流のレベルは絶えず深まっていくことだろう。これは日本に深い反省を促す環境を作り出すだろう。かつてフランスとドイツの両国人民が隔絶を取り除けたのは、ドイツ政府の謝罪と反省と関係があるほか、欧州連合(EU)統合の過程や、両国の政治、経済、文化などの多くのさまざまな分野における交流があったからである。特に民衆の間の深い交流は大きな関係があり、これは双方の相互信頼の基盤をさらに強めている。
そのため、日本が歴史を鑑(かがみ)とすることができるよう促すには、ただ怒りの感情を発散させることで問題を解決できるものではなく、さらに必要なのはわれわれがより広範な交流を促進し、より多くの理性の力を示すことだ。このような力を使うことは日本国民や世界の人々に日本の右翼の真の姿と危険性を認識させ、右翼が存在しづらい国際世論の環境を作り出すことになる。このため、激情に理性を加えることこそ、われわれが愛国の熱情を表す正しい姿勢なのである。
「人民網日本語版」2005年4月19日
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