訪中の元日本軍兵士、ネット利用者と交流

 

 

中国を侵略した旧日本軍への従軍経験を持つ元兵士・本多立太郎さん(91)が16日、中国を再び訪れ、「謝罪の旅」を開始した。本多氏は17日、人民網の記者の取材を受け、人民網BBS「中日論壇」でインターネット利用者とオンラインで交流した。

本多さんは取材の中で次のように話した。

「60年前、私は銃を持ち、軍服を着て中国に来て、いろいろな罪を犯した。今回私が訪中したのは、謝罪するためだ。そして、中日友好のために微力ながら尽くしたいという気持ちで来た。日本では、私はいつも人に招かれて、日本による中国侵略戦争の発動に関する講演を行っており、これまでに1千回以上を数える。私は自分自身の経験から、今日の日本人に、戦争が日本と中国にもたらしたさまざまな傷を伝えている。私は自分の経験から、日本の人々に真実の歴史を伝え、中国に向けて発動した戦争は誤りであり、罪だったと伝えてきた。私は自分がかつて参加したこの戦争に、深い後ろめたさを感じている」

本多さんは、1914年北海道小樽市生まれ。1934年に日本・東京の朝日新聞に入社。1939年5月に召集され軍に入隊した。1945年8月に日本が敗戦した後、捕虜としてシベリアに送られた。1947年8月に帰国し、その後日本の金融機関に勤務した。1974年に退職。

本多さんに同行する作家の方軍さんによると、本多さんはこの8年間で100通以上の手紙を方さんに送っている。手紙は主に、本多さんが運営する通信社の新聞を郵送したものだった。通信社では、本多さんが執筆・編集からレイアウト、印刷、発行までをすべて1人でこなす。新聞には社説のほか、評論や「雑感」も掲載。内容は主に、日本国内から本多さんに寄せられた戦争への考え方、実社会に対するさまざまな論評や批判だ。本多さんの新聞は手書きで、コピー機で1枚の新聞に仕上げ、郵送で読者に届ける。方さんは、「戦争から60年が経つ。謝罪に訪れる旧日本軍兵士は、91歳の本多さんが最後の一人だろう」と話す。

「人民網日本語版 2005年5月19日」