日本A級戦犯への国際的定説を覆すのは許されない



日本の政界要人がA級戦犯を擁護する間違った意見として「日本の国内法ではA級戦犯の罪を認めていない。日本の国会が全会一致でA級戦犯の遺族に恩給や養老年金を支給する関連法案を可決したのではないだろうか?(日本の国会は1953年、戦傷病者戦没者遺族等援護法を改正、54年と55年に恩給法を改正して、第二次世界大戦の戦犯遺族に恩給などを支給することに道を開いた。このことは日本が『戦争犠牲者』と『戦犯』を同一視していることを表している)。」というものがある。結論的に言えば、日本の政界要人のこうした言論はきわめて厳粛さを伴わず、きわめて無責任であり、日本政府の国際公約と完全に違反している。

まず、第二次世界大戦後の日本政府は戦争の侵略性を認めている。1945年12月、日本の衆議院は「戦争責任に関する決議」を採択して、日本が始めた戦争が「国際ルールに違反し、残虐な刑事犯罪を犯した」ことを確認している。戦後日本の歴代首相も重ねて侵略戦争と植民地統治を行ったことを認め、アジア各国に謝罪している。

次に、日本政府は戦争責任を追及する「ポツダム宣言」の全条項を受諾した。1945年9月2日、日本政府が署名した日本の降伏文書にはこう記されている。「ここにポツダム宣言の条項を誠実に履行すること並びに右宣言を実施するため連合国最高司令官またはその他特定の連合国代表者が要求することあるべき一切の命令を発しかつかかる一切の措置を執ることを天皇、日本国政府及びその後継者のために約す」。1945年の「ポツダム宣言」には「日本国国民を欺瞞し、これによって世界征服をしようとした過誤を犯した者の権力及び勢力は、永久に取り除かれなければならない」(第6条)、「われらの俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える」(第10条)とある。宣言の条項は、日本の軍国主義を必ず除去し、戦争犯罪人の法的責任を追及すると明確に強調している。

さらに、日本政府は極東国際軍事裁判の判決を受け入れている。すなわち、日本による侵略の事実と戦争責任についての極東国際軍事裁判の認定を受け入れ、東條英機らA級戦犯の判決を受け入れているのである。1951年に締結された「サンフランシスコ講和条約」第11条は「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾する」と明確に規定している。まさにこの点に基づいて、日本はようやく国際社会に戻れたのである。

1986年8月19日、日本の官房長官は衆議院内閣委員会で「日本はサンフランシスコ対日平和条約第11条に基づき、国と国の関係において、判決を受け入れたのは事実だ」と答弁している。これは東京裁判の正当性を認める日本政府の見解を再び明らかにしたものである。

このため、国際法上、極東国際軍事裁判は日本の侵略犯罪と戦犯の責任についてすでに定説を下しているのである。たとえ日本国内でこれに反する法制定をしたとしても、その国内法は国際裁判の判決に対して効力を発揮しない。こうであるにもかかわらず、なぜ日本ではA級戦犯を擁護することが続くのか。その大きな原因の一つとして、日本を占領した米国が自身の戦略的必要から、極東国際軍事裁判が処罰した日本の戦犯と軍国主義勢力を消滅させることにおいて「徹底的に悪を除き去る」ことができなかったことだ。

それは主に次の3つで示される。

(1)日本の始めた侵略戦争の国家元首と軍隊最高司令官であった天皇が戦争責任を追及されなかった。

(2)米国が自国の立場から主に追及したのは太平洋の戦場における対米戦争に関する日本戦犯だった。

(3)裁判後半、米国は自分の極東政策の必要性から、一部の重要戦犯の戦争責任に対する追及を緩めた。例えば1948年に重要戦犯19人の釈放を宣言し、50年に日本国内で拘留していた戦犯を刑期終了前に釈放した。これは東京裁判の効果に一定程度影響した。戦後の日本軍国主義と戦犯の清算が不徹底となり、戦後日本の一部の人がA級戦犯を擁護しようとする歴史的根源となった。

                         「人民網日本語版」2005年6月20日