歴史上の人物が見た中国の戦場(2)

 

チャーチルはこのように述べた。「もし日本が西インド洋へ進軍したら、中東にある我が国の戦線は必ずすべて崩壊する。この情勢の出現を食い止められるのは中国をおいてない。」

1942年1月、8万の日本軍が大挙してビルマへ進攻し、イギリス守備隊に迫った。

強大な日本軍を前に、東南アジア友軍部隊は敗戦を重ねた。シンガポールが陥落し、イギリス、インド、オランダ、オーストラリア連合艦隊がジャワ海戦で敗退し、ビルマのイギリス王立空軍基地マグウェは日本軍の爆撃を受けて壊滅した。アジア大陸全体、ひいては全世界がかつてない災いに見舞われていた。

この時、中国の抗日戦争は最も艱難に満ちた双方対峙の段階に入っていた。にもかかわらず、中国軍民は10万の精兵を動員してビルマ作戦を行った。

「派遣されたのは当時の中国一の精鋭部隊であり、中国で唯一の機械化された部隊も含まれていた」と、かつて中国遠征軍総指揮スティルウェル本部の連絡参謀を務めた王楚英が回想している。また、元遠征軍兵士の薛文涛は、米タイム誌の記者が孟関の戦いを取材後、このような報道をしたことを今も覚えている。「中国軍の作戦能力をいまだに疑う人がいれば、それは孟関の戦闘における中国軍を見ていないからだ。」

スティルウェルの後任として、インド・ビルマ戦区米軍司令官および中国駐印軍総指揮となった蘇爾登将軍は後に、「この地区で戦った中国軍が連合国側の戦役に果たした貢献は非常に大きく、日本軍兵士の射殺は主に中国陸上部隊が功績をあげた」と回想している。

「人民網日本語版」 2005年8月8日