中国宇宙飛行スポークスマン 「神舟六号」の任務達成について語る

 

「神舟六号」宇宙船はさまざまな科学実験の任務を円満に達成し、無事に着地してから6時間後の2005年10月17日10時30分、国務院新聞弁公室は新聞発表会を主催し、中国有人宇宙飛行プロジェクト弁公室の唐賢明主任を招いて、「神舟六号」有人飛行船の宇宙飛行の状況について語ってもらい、記者の質問に答えた。

唐賢明主任は「私は北京宇宙飛行管制センターの現場からこちらにまいりました。まず最初に、『神舟六号』有人飛行が任務を円満に達成したことを心から喜びを込めてお知らせしたい」と語った。

唐賢明主任は「神舟六号」有人宇宙飛行の基本的な過程を振り返った。

「神舟六号」有人宇宙飛行の任務を引き受けた費俊竜氏と聶海勝氏この二人の宇宙飛行士は宇宙飛行総指揮部がじっくり検討することによって、10月11日に打ち上げ施設に入った3つのグループの宇宙飛行士候補チームの中から選ばれたものである。10月12日、打ち上げの2時間45分前に、二人の宇宙飛行士は宇宙服を着て宇宙飛行船に乗り込み、技術面の準備を行った。

10月12日午前9時、ロケット打ち上げのための点火命令が下された。588秒後に、宇宙船はロケットから切り離され、的確に所定の軌道に入った。このだ円形軌道の傾斜角は42.4度、近地点の高さは200.65キロ、遠地点の高さは344.725キロであった。飛行船は五周目の飛行の際に軌道変換を行い、地面から343キロの円軌道に入り、地球をめぐって飛行することになった。

宇宙飛行の過程においては、宇宙飛行管制センターは宇宙飛行士と密接な連係を取りつつあり、生理のリモート測定パラメーターを参考し、宇宙飛行士の脈搏、血圧、呼吸、体温などの状況をキャッチし、テレビの画像を通じて宇宙飛行士たちの動きを観察し、飛行士と何回も交信した。宇宙飛行士は飛行プランに則って、計器を通じて飛行船の地上からの指令の執行状況や宇宙飛行船の動きの状態を点検し、地面の管制センターに知らせた。地面の指揮者は指令やアドバイスによって宇宙船に重要な指令を再度発信した。宇宙飛行士は宇宙服を脱いで、軌道モジュールに乗り込み、ひと休みし、関連の計数類、設備を操作した。

軌道をめぐって飛行をつづけて五日後に、宇宙飛行船は所定のプロセスに従って地上に帰還した。帰還のプロセスは次の通り。帰還前の一周においては、地上管制センターは飛行船にデータを発信した。アフリカ南西部の上空を通過した際に、宇宙船は帰還のプログラムの実行に入り、90°の方向転換を行い、軌道モジュールから帰還モジュールが切り離された。また90°の方向転換を行い、宇宙船の末端を前向きにさせ、逆噴射エンジンを作動させて速度を落とし、高度を下げた。地上から140キロのところで、推進モジュールを切り離し、帰還モジュールは再度大気圏に突入した。地上から10キロのところで、帰還モジュールは1200平方メートルのパラシュートをひろげ、地面から1メートルのところ、着地のための緩衝エンジンが点火され、宇宙船はエア・クッションの上に落下するようにゆっくりと着地し、その際のスピードは2-3m/秒であった。

帰還モジュールが地球に帰還した後においても、軌道モジュールは引き続き軌道をめぐって飛行をつづけ、宇宙空間科学や応用実験を行いつづけることになっている。

「神舟6号」宇宙船は全長8メートル、軌道進入時の質量は8079キログラムである。3室からなる構造で上から下へとそれぞれ軌道モジュール、帰還モジュール、推進モジュールからなる。「神舟6号」の打ち上げに使われた長征2F積載ロケットは全長58.4メートルで、打ち上げ時の質量は約480トン。8基のエンジンが同時に点火され、600トンの推力で「神舟6号」が打ち上げられた。長征2F積載ロケットは長征シリーズロケットをベースとして中国が自力で研究開発した信頼性の高い、安全性にすぐれた有人打ち上げロケットである。

今回のロケットと宇宙船の追跡・監視ネットワークは、北京、東風、西安の三つの管制センター、東風、渭南、青島、カシュガルなどの国内に設置された追跡・監視ステーション、ナミビア、マリンディ、カラチなど国外に設置された追跡・監視ステーション、太平洋・インド洋・大西洋に配置された四隻の追跡・監視船からなる、S波統一追跡・監視・通信ネットワーク(国際インターネット接続が可能)である。

「神舟6号」の主着陸場は内蒙古自治区の中部地域に位置し、予備着陸場は酒泉衛星発射センターの南東地域に位置するものであった。ロケット打ち上げ時に飛行士の安全を守るため、ロケットの先端に、緊急脱出用ロケットと軌道モジュール、帰還モジュールからなる緊急脱出飛行器が設置されていた。緊急時には、この緊急脱出飛行器はロケットの主体と切り離すことができ、陸地に設置された緊急救援スポット(酒泉、銀川、楡林、邯たん)と海上に設置された3つの緊急救援エリア(Aエリアは黄海と東海の水面、Bエリアは一島嶼レーンと二島嶼レーンに挟まれた太平洋の水面、Cエリアは関島以東の太平洋の水面に位置している)に着陸することが可能であった。また、宇宙船が飛行している段階に緊急事態が発生すれば、帰還モジュールは国内外に設置されていた10の宇宙船自己制御応急帰還救援エリアに着陸することが可能であった。陸地では、ヘリ、特殊車両、警戒飛行機、輸送機が、海上では、救援船、警戒飛行機、艦艇に搭載されるヘリがそれぞれ配置され、捜索・救援の作業に当たることになっていた。

次の段階の宇宙飛行の計画について、唐賢明主任は次のように語った。

中国の有人宇宙飛行プロジェクトは1992年から始動したもので、今年2月に政府は、宇宙飛行士のモジュール外での活動と宇宙船の軌道上でのドッキング技術のブレークスルー、宇宙空間科学や応用実験の展開を内容とする次の段階の有人宇宙飛行の目標を批准した。現在、第2段階の作業がすでに全面的に展開されており、2007年前後に飛行士がモジュールから出ることと宇宙遊泳を実現させ、2009年から2012年までには、目標をめがけて飛行器を打ち上げ、飛行器の空間軌道でのドッキングを実現することを考えている。

「チャイナネット」   2005年10月18日