【あの人 あの頃 あの話】@
北京放送元副編集長 李順然
井上靖さんの書き初め

在りし日の井上靖さん(中央)と筆者(左)、右は井上夫人

 メモをみると、1989年5月2日の午後となっている。北京放送の東京支局長をしていたわたしは、東京・世田谷のお宅に、作家の井上靖さん(1907〜1991年)を訪ね、4時間近くお話をうかがった。孔子のこと、黄河と揚子江、漢字、健康法……。十数年たったいまも、珠玉のような輝きを放つ井上さんの言葉のかずかずが、鮮明な記憶となって、わたしの脳裏に刻まれている。

 井上さんはその力作『孔子』を書くため、孔子が生きた黄河下流の山東省を2回、黄河中流の河南省を6回、旅している。「こうした旅がなければ『孔子』は書けなかったでしょう」と言い、「また中国に行けるならば、次はやはり河南省です。ぜひとも、黄河にも近い河南省の杞県に行き、あそこの麦畑に寝そべって、はたして天が落ちてくるかどうかみてみたいですね。いまの夢ですが……」と話していた。

 「杞憂」という言葉のルーツは杞県にある。古代の杞の国の人が、天が落ちてこないかと心配したという故事から、「とりこし苦労」を意味するこの成語が生まれた。

 この現世の夢とともに、井上さんは来世の夢も語った。「もし生まれかわったら、また中国のことを勉強して書きたいですね。8歳ごろから甲骨文字を勉強したら、80歳ごろにはだいぶ解読できるようになるでしょう。おもしろいものが書けますよ」と。

 井上さんの語る現世の夢も来世の夢も、ともに中国が舞台になっており、この作家の中国に寄せる情熱の深さを知らされた。

 

 わたしたちは、窓の外の新緑が美しい洋風の客間から、落ちついた和風の仕事部屋に席を移して話を続けた。

 井上さんはその詩集『傍観者』の巻頭のページに「わたしがいま、よく考えていることばです」と言いながら「死生命あり、富貴天にあり――孔子」と書いて署名し、「読んでみてください」とわたしにくださった。そして「天命」についてこう語った。

 「人間、何でもできるものではありません。そこには天命というものがあります。しかし人間は、そのなかで力を尽くさねばなりません。これが人の道でしょう」

 井上さんは、この人の道を倦まず弛まず、力を尽くして生きぬいた意志の人だった。大病、大手術を終えた身体で、大作『孔子』と取り組み、力を尽くして書きあげた。いまわたしの前に座っている井上さんの瞳は、やさしさに溢れていた。井上さんは、たっぷり墨を浸した筆を静かに運 ム、「養之如春」(これを養う 春の如し)という四文字を一画一画、丁寧に書いてくださった。

 「養之如春」――「万事、焦ることはない。春の光が万物を育てるように、焦らずゆっくりやれば、いつか事はなる」という意味だそうだ。井上さんは新年の書き初めに、よくこの四文字を書いているとのことだった。「新しい年に、新しい心で書くのにふさわしい四文字です」と言うのだった。

 わたしは、お正月になると井上さんからいただいた「養之如春」を書斎に飾る。新しい心、春の心で、新しい年を迎えようというわけだ。ちなみに、この小さな書斎をわたしは「如春堂」と呼んで、ひとり悦に入っている。2005年1月号より


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