匂い立つ北京

伝書鳩 時代の空の下で

                                       写真・文 林 望
 


 北京展覧館にほど近い古いアパート。南向きのベランダを改造した鳩舎に夕日が差し込んでいる。李全宝さん(50)がソファーから腰を上げて鳩舎に入っていくと、近くのビルの屋上にとまっていた鳩たちが「バッバッバッ」と大きな羽音を響かせて集まってきた。鳩舎の中に羽毛が舞い上がり、かすかに糞の匂いが漂ってくる。「夏の雨の日は匂いがもっときつくなるよ。だから毎日二回ずつ、こいつで掃除するんだ」と、李さんは鉄製のヘラを見せてくれた。買ったときは長さが三十a以上あったそうだが、長年使っている間に摩耗して半分ほどになってしまったという。「もっとも、俺自身は鳩の糞が臭いなんて思ったことはないんだが、鳩の健康のために鳩舎の掃除は欠かせないのさ」

 北京には、李さんのようにアパートのベランダで伝書鳩を飼っている人が少なくない。北京市伝書鳩協会によると、会員は現在一万八千人以上。会員の職業や年齢はさまざまだが、「九九・九%が男性」。大半の人が、奥さんから「汚い」「うるさい」「お金がかかる」と、文句を言われているのだそうだ。李さんの場合、えさ代や薬代など、鳩のために費やすお金は毎月二百元前後。月給のおよそ四分の一にあたる。奥さんでなくても、小言の一つや二つ、ぶつけたくなる気持ちは分かるような気がする。

 「元々は清朝の王侯貴族の道楽。だから、少し前まで『鳩を飼う男は遊び好きなろくでなし』という偏見があったよ」。李さんが初めて鳩を飼ったのは一九六〇年代の末、中学生の時だった。親しくしていた近所のおじさんがくれたもので、「あの時の興奮は忘れられない。当時、良い鳩は一羽七元、労働者の月給の五分の一くらいしたからね。到底子供の手に入るものではなかったのさ」。食糧は配給制でエサが買えないので、自分の窩(ウォー)頭(トウ)(トウモロコシ粉を円錐形に練って蒸したもの)を分け与えて育てたのだという。同級生に自慢したくて仕方なかったが、ぐっとその気持ちを押さえた。文化大革命が最も激しさを増していた時代。動物を飼うことは、「四(スー)旧(ジウ)」(搾取階級の旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣を指す)として批判されたからだ。「当時はみんな、周りの人にばれないように家の中でこっそり飼っていた」。鳩を外に放つこともできなかったわけだが、「人間だって自由のない時代。鳩に自由なんてあるもんかい」と、冗談交じりに話す。

  時代の空気が緩むにつれ、ほかの愛好者と鳩を交換して繁殖させることができるようになり、現在、李さんの家の鳩も五十羽以上に増えた。群れになって飛んでいる時でも、李さんは一羽一羽全部見分けることができるという。伝書鳩の魅力を、李さんは「忠実さ」という一言で表現する。「鳩は外で何かに襲われて傷ついても、息が途絶える瞬間まで、主人のもとに戻ろうと努力するんだ。可愛くもなるさ」。長生きした鳩や優秀な鳩には名前をつけ、死んでしまったらきちんと埋葬してやるのだそうだ。
 
 近年は伝書鳩のレースも頻繁に開かれており、規模の大きな大会では数万元の賞金がかかるという。血統の良い鳩は一羽数千元から数万元で取り引きされ、趣味が高じて伝書鳩の養殖を商売にする人も少なくない。「良い鳩を見分けるのは簡単じゃない。最近は、騙したり騙されたりという話をよく聞く」と、眉をひそめる李さん。「今の世の中、なんでも商売にして金儲けにつなげようとする輩が少なくない。この道楽の醍醐味は、鳩と心を通わせながら大切に育てるところにあると俺は思うんだけどね…」。トゥルル、トゥルルと声をかけながら鳩にえさをやる李さんを見ながら、「この人が鳩と一緒にいるときの姿は、きっと中学生の頃から何も変わっていないのだろうな」と想像した。(2001年2月号より)