特集(2)

60万市民が「講英語(英語を話す)」


北京33中学が挙行した「道徳実施綱要」の英語スピーチコンテストに参加した選手たち

 この4月のある日の午後、北京市内にある第33中学校の講堂で、「英語スピーチコンテスト」が開かれた。はりつめた雰囲気の中で、紅い服を身にまとった老人たちが特に目立っていた。それは彼らが、自分で作った『公民道徳の歌』を英語で歌い、その英語が驚くほど正確だったからである。

 音頭をとって歌っている許仰静さんはすでに70歳を過ぎているが、見たところ50を少し過ぎたほどにしか見えず、きわめて若い。英語について彼女は「わたしたちの若いころは、英語を学ぶ条件がなかったが、いまは違う。政府はみんなに英語を学ぶよう呼びかけているし、もし外国人に会って道を聞かれてわからなければ恥ずかしい。そのうえ、みんなが英語を学んでいるのに、私たち老人だけが学ばなければ、落ちこぼれてしまう」と笑って言うのだった。

英語コンテストのあと、老人の選手たちは英語で、外国の審査員と交流した(左から2人目が許仰静さん、3人目が斉連珍さん)
普通のおばさんが大胆に、外国のお客さんと言葉を交わす

 もう一人の、やや訛りのあるおばさんは、自信満々でこう言った。「北京オリンピックにはまだ7年あるんだから、しっかり学ばなくては。そのときが来たら、私もボランティアとかいうのになってみたい」。

 80、90の高齢になって、ABCから英語を学ぶのは容易なことではない。65歳になる斉連珍さんは「年をとると、頭がだめになって、なんべん暗記しても忘れてしまう。そこで私たちは、ある方法を思いついたのです。それは英語の発音に漢字を当てたのです。そうすれば覚えやすいから」と言った。

 英語をマスターするため、老人たちは毎日必ず練習を繰り返している。食事のときも、道を歩くときも、便所に行ったときでさえも、彼らは英語のノートを手放さない。コンテストに間に合わせようと、真夜中に起きて英語の台詞を暗記し、間違わないようにするのだ。

 努力すれば腕前が上がる。去年、許さんと斉さんがいっしょに演じた英語のコント『誕生日を迎える』は一等賞を獲得した。このとき英語で歌った名曲『エーデルワイス』は、大喝采を受けた。

 住民委員会の王士良主任の説明によると、昨年来、ここの住民の英語ブームは非常に高まり、33中学と合同で英語学習班を作り、北京聯合大学の学生を招いて無料で老人たちのために授業をしてもらっている。授業は週一回で、雨が降ろうと風が吹こうと続けられている。現在、最年少の学生は50歳で、最年長は92歳だ。

警官も運転手も

 目下、北京では、市政府の提唱の下に、少なくとも60万人市民が英語を学んでいるという統計がある。1999年初めには、北京オリンピック招致委員会とタイアップして、市政府は「北京市民講英語(英語を話す)活動」の委員会を設立し、後にさらに具体的な実施プランを立てた。これによって交通、治安、観光、商業などの重点窓口業務の英語学習に対して具体的な要求を出し、市民が学ぶ英語「100センテンス」と「300センテンス」の普及教材を作った。

北京の警官と外国の英語教員とが合同で開催した文芸活動。これによって外国語の訓練をしている

 また、多くの英語専攻の大学生が順番でホットラインを聞き、市民が英語学習の際に遭遇する問題について回答する、電話局に無料の英語専用線を開設する、北京テレビ局が日常英語の教育番組を放送する……など、これらはみな、市民が英語の学習をしやすくするための措置だった。

 実際、北京市がオリンピックの開催権を獲得し、全国人民がその喜びに浸っているとき、北京ではすでに、2万人の公務員が英語教室に行き、「スピーク イングリッシュ」の学習を始めたのだった。市政府は、北京の10万の公務員に対し、遵守すべき規定を作った。それは、順繰りにグループごとに学習に参加する、外国の賓客と交流できるようになるために、一般公務員は百センテンス以上の英語の会話を、大学本科卒業以上の学歴を持つ公務員は300センテンス以上の英会話をマスターしなければならない、というものだった。

 北京には毎日、多くの外国観光客が来る。だから英会話ができる交通警官はとくに重要である。現在、多数の交通警官が簡単な英語で外国人に道を教えているが、国が制定した英語の等級試験で六級の水準があれば、非常に流暢な英語で外国人と対話することができる。2000年からは、英語の学習は交通警官の特殊任務の一つになっており、合格しないとしばらく仕事に就くことができない。

中国の首都である北京は国際化し、多くの公共施設にみな、中国語と英語の標識が付けられている

 タクシーの運転手も一生懸命に英語を学習している。ある運転手などは、外国の乗客と英語で会話ができるだけでなく、北京の風物や人情まで英語で紹介できるようになった。だから、車体に「Driver speaks English」と書かれたステッカーを貼り付けたタクシーは、売上げがとくに良い。

 北京市は、空港や主要な道路、バス停の英文の路線標識や公園、観光スポット、博物館、展覧館の英語の説明を、だんだんに規格化しようとしているという。また2003年秋までに、全ての北京市の小学1年生に英語の授業を設ける。現在すでに、多くの幼稚園で、バイリンガル教育が始まっている。

「クレージー英語」の創始者

 「クレージー英語」という英語学習のやり方がはやっているのは、多くの学生や商店の店員、タクシー運転手らが懸命に英語をしゃべろうとしているからだろう。初めて「クレージー英語」と聞くと、少し怖い感じがするが、実はきわめて魅力的なものだ。

 少し前、首都体育館で開かれた「クレージー英語」の集会の様子はこうだった。

 2万人以上の観衆が同時に手を挙げて、「クレージー英語」の創始者である李陽氏の指導の下で、口の形を手で作りながら大声で英語の単語を叫ぶ。その声は耳を聾するばかりで、その盛り上がりは、どんな人気歌手の登場のときよりもすごい。その中に身を置いていると、みんな互いに感動し、励ましあい、それぞれ大声で英語をしゃべってしまい、恥ずかしさを感じなくなる。

大学生は、さまざまな英語の学習にかなり関心を持っている

 この学習方法を編み出して成功した李陽という人は、おかしな人物である。小さいころ彼は、大変な恥ずかしがり屋で、内向的な性格だった。知らない人を見ることも、電話が鳴っても出ることも、映画に一人で行くこともできなかった。物理療法を受けていたときに機器が漏電し、顔をケガしたのに、声さえ出さなかったほどだ。

 大学生のころは、二学期連続して英語の試験は不合格だった。だが、偶然の機会に彼は、声を出して英語を読むことが英語の勉強に役立つことを発見した。そこで、彼は毎日、広々とした所に行って大声で英語を叫んだ。四カ月後、劣等感と英語恐怖症を克服したばかりでなく、英語四級の試験で、全校で二位の好成績を収めた。後に彼は、有名な英語ニュースのアナウンサーになり、英会話教育の専門家になった。

 

 1989年、彼は講演で初めて「クレージー英語」を発表し、各大学や高校、中学に招かれて「クレージー英語」を伝授した。

 かつての彼のように、英語学習に悩んでいる人々は、彼の「手まねしながら叫ぶ」特殊な英語学習法の虜になり始めた。とくに北京市民が英語を学ぶ活動の中で、講座のたびに数千人が彼と一緒に「クレージー」となるのだ。いまや彼の最大の夢は「3億の中国人に流暢な英語をしゃべらせる」ことである。 (2002年8月号より)