●特集

高齢化社会を迎えて
        文 張春侠 写真 魯忠民 楊振生


 
北京の街のあちこちで見られる老人たちの秧歌踊り(北京市老齢委員会提供)

 長い間、高齢者は、社会の関心をあまり引かない集団であった。しかし、人類の高齢化時代の到来は、社会の発展や家庭構成の変化にますます深く影響を与えるようになった。

 中国では、60歳を超した人を「老人」と呼ぶ。この基準に照らせば、中国は1999年に、すでに高齢化社会の仲間入りをしている。

 それなら、中国の高齢化社会の現状はどうなっているのだろうか。人々は高齢化社会の到来に、いかに対処すべきなのか。将来の高齢化の道を、中国はどのように歩むのだろうか。

 

特集@
中国人の老後は

 「老人」というと、孤独とか病気、場合によっては死と関連づけて考えてしまいがちだが、実際のところお年寄りたちの生活はどのようなものなのだろうか。その生活ぶりをのぞいてみよう。

老いて楽しむ

「集賢承韻」では、80歳の張傑さんがお年寄りたちといっしょに唄っている

 81歳になる律玉華さんにとって、老衰こそ極めて恐ろしいものである。彼女は以前、ずっと居民委員会の主任をつとめ、一日中、熱心に、町内の煩わしい問題の処理に駆け回っていた。しかし55歳になって彼女は定年退職した。

 突然暇になり、この老人は、どうすればいいかわからなくなった。だんだん彼女は怒りっぽくなり、いつも家人を叱りつけ、子どもたちは毎日、びくびくし、ひたすら彼女が怒るのを恐れるようになった。

 実際、人は、好むと好まざるとにかかわらず、老いがやってくるのを阻むことはできない。だが、律さんとは違って、現在の多くのお年寄りたちは、自分たちの晩年の生活を、生き生きと過ごしている。

「いつまでも若い」と自認する老人たちは、重陽の節句の文芸の夕べで見事に演じた(北京市老齢委員会提供)

 毎週月曜日の夜七時になると、80歳になる張傑さんは時間どおりに、北京・新街口の正覚胡同(横町)に現れる。ここには「集賢承韻」という名の、「八角鼓」(八角形の小太鼓)と「単弦」(蛇皮線)による歌謡の訓練場があり、ここで年寄りの仲間たちといっしょに数節を唄うのだ。

 訓練場の主人の銭亜東さんは今年すでに92歳の高齢だが、素人ながら唄の名手である。彼は小さいころから「単弦」が好きで、引退してからは、長い間に貯めた蓄えをはたいて楽器を買い入れ、この訓練場を作った。

 それから23年、ここは多くの唄好きの老人たちを引きつけてきた。その中には、かつては一世を風靡した老芸人もいたし、一生涯、唄が命という素人の老俳優や博覧強記の大学教授もいた。最盛期には百人以上の人が集まった。

 北京では、こうした老人のグループは、枚挙にいとまがないほどある。太極拳をする人、京劇の一節をうなる人、秧歌踊り(民間舞踊)を舞う人……趣味や志が一致する老人たちは集まり、いっしょに活動して、晩年の生活をいっそう豊かなのものにしている。

 多くの老人たちは、現実を直視するだけでなく、時代の流れに適応しようとつとめ、中にはその流れに追いつこうとする人さえいる。

 69歳の賈書聖さんは、再び教壇に帰ってきて、老人大学でお年寄りたちに書や絵を教えている。70を過ぎてから「お爺さんの受験生」と呼ばれ、全国大学入試に参加した老人もいる。80歳を超した老婦人が、インターネットで遊び、ネット友達と親交を結んだ……。

近年、老人たちの旅行はブーム。「夕陽はなお赤い」旅行団に参加して廈門に出かけるお年寄りたち

 2002年に挙行された全国老人文芸の集中公演では、参加者たちは大いに腕前を発揮した。その熱情の高まりは、人々の想像を遥かに超えていた。

 さらに、多くのお年寄りたちは、保守的な消費の観念を捨てはじめている。心ゆくまで旅行を楽しもうというのである。グループツアーに参加する人、車を運転してチベットに行く人、自転車で全国を旅して回る人もいる。さらに、国内はくまなく旅行して回り、まだ足りず、海外に目標を定めている人もいる。

 大きな旅行社の情報によると、この数年、高齢の旅行者数が激増し、「東南アジアの旅」だけでも、老人が参加者の半数以上を占めた。各地の旅行社が争うように「夕陽はなお赤い」(中国では老人は「夕陽」になぞらえる)という名前を付けた専用列車を仕立て、これがいっそう老人の旅行熱をかきたてた。

変わる伝統的な観念

 「児孫繞膝」(子や孫たちが膝にまとわりつく)とか「四世同堂」(四世代同居)というのが、かつては中国のお年寄りにとって理想の老後のモデルだった。しかし、絶え間ない社会の発展につれて、こうした理想はすでに実現困難になっている。

北京市政府が資金を出して建設した老人マンションは、設備が完備している。お年寄りたちはマンションの食堂で食事をとる

 北京市朝陽区に住んでいる68歳の何おばあさんは、7年前、連れ合いの勤め先が、大部屋一つと小部屋一つの住宅から、大部屋一つと小部屋三つの住宅へ引っ越すよう特別に手配してくれた。そこですぐ、別の場所に住んでいた息子と嫁、孫娘を、ここに引っ越して来させた。だが、何が原因なのかよくわからないが、嫁姑の仲は良くならず、ずっと冷ややかなものだった。

 「後に、息子の職場が住宅を分配してくれたのですが、私たちが再三、引きとめたのに、嫁が言い張って、風のように引っ越して行ってしまったのです。もとはにぎやかだった部屋が、一度に空になってしまい、私たちの気持ちは落ち着かなくなりました。一日中、何をしていいのかわからず、日曜日に息子が孫娘を連れて来るのを待ち望んでいるのです」と何おばあさんは嘆くのだ。

長春に家がある75歳の顧万春さん(左)と夫人は、老人マンションに入って一年以上になる。毎月平均の出費は一人当たり約1500元
民間が運営する「愛地養老センター」で行われた太極拳の競技会(同センター提供)

 何おばあさんとは違い、71歳の劉さんと奥さんは、進んで別居を提案した。「息子や娘といっしょに住んでも、生活習慣も食事の好みも違い、物事に対する見方もまったく違う。だから一定の距離を保っているのが、家族の良好な関係を維持するうえでよいことだ。それに、子どもたちは仕事が忙しく、彼らに私たちの面倒を見させるのは忍びないから」というのである。

 中国の「一人っ子」政策の実施と住宅条件の改善にともなって、中国の家庭の規模は、日増しに小型化している。そのうえ、競争社会の圧力は増大し、子どもたちは老いた親をかえりみる暇がない。そのため、農耕社会に長い間存在してきた「子を養いて老後に備える」とか「父母在せば、遠く遊ばず」(父母が存命中は、遠くへ遊びに出かけない)とかいう伝統的な観念は、次第に人々の視野から消え去り始めた。独居はすでに老人が直面せざるを得ない現実になっているのだ。
          
 2001年に中国老齢科学研究センターなどが行った「中国の都市と農村における老齢人口の抽出調査」の結果によると、現在、子どもと同居したいと思っている老人は、全体の55・2%を占め、同居したくないという人は31・8%を占めていた。しかし都市部ではすでに42・3%の老人が子どもと同居したくないと思っていることがわかった。

 「子を養いて老後に備える」という伝統的な観念は、かつてないほどの打撃を受けているのだ。だから老人たちは、数千年も踏襲されてきた伝統的な養老の方式を次第に転換して、貯蓄して老後に備え、個人の養老保険に入り、老人マンションや福利院などの社会養老施設に入ることなど、考え方や心構えを再調整せざるを得なくなっている。

 72歳の余雪痕さんは夫とともに、いろいろ説得されて、やっと「愛地養老センター」に入った。余さん夫婦には息子と娘が一人ずついるが、二人とも独立して生活している。息子は自分で会社を経営し、仕事はとくに忙しい。娘はずっと外国暮らしで、顔を見せることもなかなかできない。

「愛地養老センター」で暮らす日本人の田中博夫さん(右)は、いっしょに入居した友人と碁を打っている

 定年退職したばかりのころ、余さん夫婦は、息子の子どもの面倒を見てやっていたから、ちっとも寂しくはなかった。しかし後に、その孫が学校に行くようになると、家の中はガランとして、老人二人だけが残された。息子は忙しかったけれど、できる限り親の生活に心を砕いてくれた。

 余さん夫婦は、あれこれと考えたすえ、養老院に行くことを決めた。しかし、この考えを息子に言ったとたん、息子は断固反対した。「私のどこが悪かったのですか。あなた方の思い通りにならないからでしょうか。それに私は住宅を二つ持っているので、あなた方二人だけで住みたければそれでもいいし、それが嫌なら私たちといっしょに住めばよい」と言うのだった。

 これに対して余さんは言った。「どこに息子といっしょに住みたくない者がいるかね。毎日子どもたちが私たちの周りにいるのは本当にいいことだよ。でも、それはできないよ。おまえは仕事に忙しく、私たちの面倒を見る時間がどこにあるのかね」と。

 しかし、この話を聞いた娘は、大変支持してくれた。とうとう息子もふしょうぶしょう、一定期間、試しに養老院に住むことに同意した。だが、思いもよらなかったのは、余さん夫婦がいったん養老院に入るや、もう帰りたくなくなってしまったことだ。

老人大学の写真班の学生たちは、野外で撮影創作活動を展開した

 その理由は、米や塩などの生活必需品の心配をすることがほとんどなくなったばかりではなく、新しい老人の仲間がたくさんでき、みんないっしょに世間話をしたり、山に登ったり、太極拳をしたり、さらには先生から無料でピアノを習ったり、手芸をしたりして、生活はいっぺんに多彩なものになり、老人たちはここを自分の家のように思っているからだ。
 
 余さん夫婦の入った養老院は、私立の養老院で、前は川、後ろは山で環境は良く、費用も毎月一人、7〜800元と安い。このため多くの老人が住んである。ここに比べてもっと良い条件のところもある。北京市老人マンションのように、市政府が投資して設立した養老施設は、医療、娯楽などの各種の設備が完備している。しかし、毎月一人、1500元近い費用がかかるため、多くの老人は尻込みしている。

 どちらにせよ近年、老人の面倒を見る家庭の役割が弱まった状況下で、政府や社会、個人が投資して養老院、老人マンション、ホスピスなどの社会福祉の機構を開設したことによって、大なり小なり、「老いて養われる所あり」という問題は緩和された。

 しかし、日増しに高まる需要に比して、現有の老人福祉施設は非常に不足している。統計によると、社会の各種の老人に対するサービス機構は五万カ所で、ベッド総数は、老人総数の0・8%にしか過ぎず、3%〜5%の先進国に比べ大きな開きがある。

「社区」が果たす大きな役割

 詰まるところ、すべての老人がみな養老院に行ける能力があったり、そう願ったりしているわけではない。北京・三里河の「社区」(コミュニティー)に住む82歳の宋書如さんも、養老院には行きたくない。連れ合いを数年前に亡くし、息子は彼女に3000ドルを払って国際養老院の発行する個人会員証を作った。しかし宋さんは「手足がしっかりしているのに、そんなところに行って何をするのか」と言うのである。

82歳の宋書如さんは「イメージを競うコンクール」のテレビ番組に出演した(宋書如さん提供)

 実際、子どもがいないか、いても身近に住んではいない家庭を、社会学者は「空巣家庭」と呼ぶ。最近10年、中国社会の高齢化が日増しに深刻になるにつれ、中国の「空巣家庭」は、老人家庭総数の35%を占めるようになり、北京だけでも30万近い「空巣家庭」がある。専門家の予測では、これからの10年で、「一人っ子」の父母たちが老齢化するにともない、「空巣家庭」は中国の老人家庭の主要な形となり、おそらくは全体の90%を占めるようになるだろうという。

 「空巣家庭」の増加は、一連の社会問題を引き起こす。宋さんはどのように一人暮らしの問題を解決したのだろうか。

 宋さんは子どものころから、踊りが好きだった。年をとってもそれは変わらなかった。ちょうど良かったのは、居民委員会が早朝練習隊を組織し、彼女に先生になってほしいと言って来たことだ。

金婚式を迎えた祝賀会で、古希を超した宋振声、張玉蘭夫妻は、その他のダイアモンド婚を迎えた28組のカップルとともに、幸せなひと時を過ごした

 彼女は毎朝8時前には社区の活動拠点に行き、老人たちといっしょに鍛錬し、雑談する。また、居民委員会が組織したオリンピック招致のキャンペーンや英語のコンクールに参加し、大変楽しんでいる。また2002年には、宋さんは、テレビが主催した「イメージを競うコンクール」に参加し、北京地区優勝の栄冠を勝ち取った。

 一般に、老人は家にいて、自分のことはみな自分でやっている。しかし、忙しくて手が足りなくなると、居民委員会に電話すれば、居民委員会は無料で、お年寄りのためにパートの人を探し、時には老人に代わって買い物をし、新聞を届ける。「居民委員会が助けてくれるので、生活は本当に便利になりました」と老人たちは言う。

 三里河社区居民委員会の王致紅主任の話によると、この社区は3300人以上の住民が住んでいて、その中に60歳以上の老人が900人以上いる典型的な老人社区である。お年寄りたちの生活が便利になるようにと、社区は、物品販売車を出したり、野菜売り場を設けたり、無料でパートの人やお手伝いさんを紹介したり、本人に代わって電話料金を納めたり、小荷物を受け取ったりしている。2001年4月には、「愛心基金会」を設立し、社区の中で生活に困っている人たちを援助している。

中国の社会では、「空巣家庭」がますます多くなっている。社区は老人が多くなり、これは中国が高齢化社会に入ったことをしめしている

 北京市の多くの社区はみな、比較的整った養老体系を樹立しているといわれる。2001年6月18日、中国は正式に「全国社区老人福祉サービス星光計画」を始め、連続3年、福祉宝くじを発行して集めた福祉金の80%を使って、10万カ所の社区に老人福祉サービス施設と活動の場所を新築することを決定した。その投資総額は百億元に達するだろう。

 中国人は結局、どこで老後を過ごすのが適しているのだろうか。中国老齢科学研究センターの張・悌副主任はこう考えている。

 「社会保障体系がまだ完備していない中国では、現在、多くの老人たちの老後の需要を満足させるに足る財力はないので、老人たちは自分たちがよく知っている社区の中で生活したいと望むのだ。養老院や託老所といった施設で行われる養老は、老人たちのこうした精神的な需要を満足させることはできない。だから社区を頼みとし、家に居ながら老後を送る方式が、中国の将来の重要な養老方式の一つになるだろう」

養老サービス員たちは、養老院に昼食を届ける

 中国では、宋さんのように多くの老人が、晩年を社区のサービスに頼っている。しかし、やはり多くの老人が、昔勤めていた職場(単位)に頼っている。

 かつては、中央から地方までほとんどの単位に、老幹部の「工作処」や「工作科」「工作室」があり、退職した老人たちの生活を専門に見ていた。高齢化社会になってからは、国家はさらに老人に対する事業を重視し、1996年10月には、正式に『中華人民共和国の老人の権益保障法』(老人法)を制定し、中国の養老事業の法律的根拠を作った。一九九九年には中央の呼びかけの下、各級政府が老齢工作委員会を設立し、総合的に養老の仕事を調整し、「老いて養われる所があり、治療を受ける所があり、教える所があり、学ぶ所があり、活動する所があり、楽しむ所がある」という長期目標を確定した。

活発な老人の活動

 それによって、老人の活動室を持っているすべての単位の老人活動は、いっそう活発になった。

北京師範大学の老幹部活動室の書画組の高鸞祥さんは、同校の科学技術館で絵画展を開いた

 北京師範大学の「励耘」という老幹部の活動室では、20人以上の白髪の老人たちが一生懸命に書や絵を習っている。彼らはみな、師範大学を定年退職した教師で、書や絵を愛好する人たちだ。彼らは毎週二回、定時にこの小さな活動室に集まって、互いに自分たちの作品を批評し合っている。

 書画組の発起人は、72歳の高鸞祥さんである。退職後、彼女は老年大学に行って専門的に、山水や花鳥、自由な発想で描く「写意」などの中国画の技法を学んだ。後に、老幹部活動センターの励ましと支持の下、高さんは、自分の学ぶ老年大学の先生に来てもらって、先頭にたって書画組を立ち上げた。それはほどなく二十数人に発展した。彼らの作品は何度も中央テレビ局が主催する「夕陽はなお赤い」全国老年大学書画展や中日民間文化芸術交流書画展などに出品された。

老人大学の学生さんたちは、いっしょに切磋琢磨し、書や絵の交流をしている

 北京師範大学老幹部処の胡処長によると、「励耘」のような活動室は、大学の構内に全部で三カ所あり、書画組のほかに手芸組、混声合唱団、ファッションモデル・チーム、外国語学習組など13の活動グループがあるという。

 弊社でも、毎月初めの給料日に、退職した人たちが集まってきて、時事を談じ、世間話に興じ、往時を懐かしみ、社内の仕事に関心を寄せる。活動室からは、老人たちの朗らかな笑い声が流れてくるのだ。 (2003年2月号より)