特集 (その3)
「第二の創業」で発展めざす

 

  1950年代末から60年代初めにかけ、中国の経済はきわめて困難な状況下にあった。このときに大慶油田が発見され、人々の民族精神を大いに奮い立たせた。そして大慶の人々は、その発見を、現実の生産力に変えて行ったのである。

 当時、王進喜は石油採掘の労働者だった。のちに彼は油井掘削隊の隊長から油田の管理の幹部になり、その「刻苦奮闘」の精神から「鉄人」と呼ばれた。

 王進喜に代表される石油採掘者たちは、遅れた技術と古びた設備、厳しい生活条件の下で、「たとえ20年、寿命が縮んでも、命がけで大油田を手に入れるぞ」という誓いを立てた。彼らは心を一つにして、知恵と意志、それに肉体や血と汗によって、一つの神話を創造したのだった。

 大慶の石油によって中国は、当時のエネルギー危機を脱したばかりではなく、国民経済が上向きになった。しかも70年代の後期から現在まで、大慶の石油は年産5000万トンを維持してきた。

 不幸にして王進喜は健康を害し、1970年、47歳の若さで病没した。しかし王進喜のように、理想も現実もともに追求し、団結して奮闘前進する精神は、「大慶精神」として昇華された。のちに、この時期を「第一の創業」と大慶の人々は名づけている。

 「大慶精神」は後輩たちの励みとなり、時代とともに進んで行った。そして十数年前、現在の大慶の人々は、この「大慶精神」をもって「第二の創業」の第一歩を踏み出した。

大慶人の選択 

1960年代には、数千、数万の労働者が大慶にやってきて、油田を開発した
王進喜(中央)は大慶の労働者の代表である。彼の「刻苦奮闘、自力更生」の精神は、「鉄人精神」と称えられている
王進喜に代表される大慶の人々が作り出した奇跡を記念する博物館が作られている。王進喜の率いる1205掘削隊が当時掘り当てた第一号の油井は、いまも原油を生産している

 「第二の創業」とは何か。大慶のハイテク区発展戦略研究室主任で、経済学と社会学の学者でもある呂守生さんは、「第二の創業」についてこう説明する。

 「石油は再生不可能な資源の一つです。いったん枯渇してしまえば、その後、どうすればいいのでしょうか。前車の轍を鑑にして見ると、旧ソ連の石油都市バクーは、石油が出なくなるとともに貧困化しました。しかし米国の石油都市ヒューストンは、石油がおしまいになった後、航空宇宙都市に変貌し、さらに豊かになりました。雨が降る前に雨戸は修理しなければならない。つまりできるだけ早めに『ポスト石油時代』につながる産業を準備しなければならないのです。それによってはじめて、都市の持続的な発展を保つことができるのです」

 呂主任の説明によると、大慶油田は、採掘しながら探査している。すでに周辺の広い地区で、依然、かなりの石油が埋蔵されていることが発見されている。しかし大慶市域内ではこれまでに40年以上も採掘が行われ、すでに生産のピークは過ぎているという。

 しかし「大慶は決してバクー油田の後塵を拝してはならない」と呂主任はいう。この戦略的な考え方に沿って大慶市政府は、関係各方面の意見を聴取したあと、実際の状況と結びつけ、1992年に石油関連産業を発展させ、大慶が「ポスト石油の時代」にも引き続き発展できる計画を実施し始めた。

 この計画の構想はこうだ。

 大慶は、引き続き石油を生産するとともに化学工業の分野でも生産と技術の優位性を保ち続ける。同時に、その他のハイテク産業も迅速に発展させる。伝統的農業を改造し、近代的な牧畜業と農業を結びつけて発展させる。生態系保護の計画を実施する。文化、教育、体育、衛生などを大いに発展させ、文化と経済がともに発展した市にする……

 呂主任の言う「第二の創業」の目標は、大慶を資源型の都市から経済、文化、社会が総合的に発展した近代都市に移行させることにある。

 これを実現させるために大慶市は、1992年に「ハイテク産業開発区」(ハイテク区)を設立した。世界各地の各種の「実験区」と同様に、大慶のハイテク区も市街地の東部の素晴らしい場所に置かれ、57平方キロの広大な土地を区画して、交通や通信、水、電気、金融、商業などの生産や生活のための整ったインフラ施設を建設した。そして一流の維持・修理のサービスを提供するとともに、思い切った優遇政策で外資を導入し、人材と技術を吸収する。そして元からあるハイテクの産業を育成し、それを牽引力として大慶の近代化プロセスを導くという構想である。

次々に誕生したハイテク企業

ハイテク区の一角

 それから10年を経たハイテク区は、立派な成果をあげた。現在ここに千社以上の企業があり、電子情報、化学工業、ニューマテリアル、機械電気を一体化した産業と、バイオ、医薬を重点とするハイテク産業群を形成している。その中にある三つの典型的な公司を訪ねた。

 【大慶双能科技有限公司】 この公司は「帰国した留学生の創業区」との表示がはめ込まれた大きなビルの中にある。社長の傅立君さんの説明によると、この公司は、米国のルーイビル大学修士課程にいた弟の傅立志さんが、2000年8月に中国に帰国して創立した。主に赤外線輻射による暖房設備(太陽灯)を生産販売している。英国のアンビラッド社の先進技術を導入し、今年、製品の国産化が完成するという。

ハイテク区政府のサービスセンターの大ホール。長いカウンターが置かれている

 中国の東北地方はかなり寒い。住宅や工場で使われる暖房設備は、直接人々の生活の質や職場環境に関係するため非常に重要である。これまでのスチームによる暖房設備に比べ太陽灯は、優れた点が多い。それはコストが低く、暖房効果が高いうえ安全で、環境保護によく、完全に自分でコントロールできる。このため太陽灯は人気を博し、現在、東北や西北地方では、市場での供給が間に合わないほどだ。

 しかし傅立君社長は、彼らの成功が「ハイテク区の協力と支持のおかげである」ことを再三強調した。というのは、当初、技術はあったものの、彼ら兄弟に何ひとつなく、資金も土地も実験室も、またこの公司にとって特に必要な天然ガスの地下埋設管のネットワークも、みな「帰国した留学生の創業区」が提供してくれたからだ。

 ハイテク区にはこの他にも、さまざまな名前を冠した各種の「創業区」がある。これらは企業を起こそうとする人たちに、最初の実験の場や跳躍台を提供したのだった。

ハイテク区にある「大慶三維科技股フン有限公司」。物流の技術と製品を研究開発している

【大慶三維(SUN―WAY)科技股キン(株)有限公司】 この公司の会長の劉波さんは38歳。元は大慶のある国有石油化工企業の技術員をしていた。大慶ハイテク区が成立し、ここでは一連の優遇政策と自由に能力を発揮できる環境が与えられたため、彼は決然と職を辞し、二人の友人とそれぞれ1000元の株を買い、ここに民営の株式企業を創立した。

 10年後の今日、この公司は固定資産7000万元以上、自社の持ち株は1億5000万元になり、黒竜江省民営企業のトップ二百社に名を連ねる企業となった。

 この公司は主に、デジタル化された病院管理のソフトやオフィス・オートメーション関連のソフトおよび関連の計器やメーター類を扱っている。科学研究と生産、販売・貿易を一体化した総合企業である。中国の60余の有名大学といっしょにオートメ化の技術実験室を建設し、北京や珠海などにも支社を置いている。今年春から夏にかけて北京でSARSが猛威を振るったとき、三維公司の病院管理のソフトは大いに威力を発揮し、「SUN―WAY」の名を大いに高めた。

 しかし、副総裁の孫維善さんによると、ここには私営企業を蔑視するような現象はなく、ローンにしてもサービスにしても、市場への参入にしても、私営企業は国有企業と平等に待遇されるというのである。

 大慶には「民営企業協会」という組織がある。市政府の規定によって、毎年2回、協会員の代表集会が招集され、もっぱら市政府の公務員に対し、とりわけハイテク区で直接、企業のためにサービスする部門やその職員に対し、批判的な意見を提起することができると定められている。彼らのサービスの態度やその質、仕事の能力など、各項目の指標に点数をつけ、政府が公務員を奨励したり処罰したりするうえでの参考にするという。

「銀螺乳業公司は大慶の自然を利用して、優秀な牛の品種を導入し、一万頭規模の乳牛の飼育基地を建設した

【銀螺乳業公司】 この企業は、肉牛や乳牛の飼育や育種、草地の建設、飼料加工、牛乳加工を集約して一体化した大型の牧畜と乳製品の総合企業である。一万頭以上の乳牛を飼っていて、大慶の牧畜乳業の大手である。近年、カナダやオーストラリアから相次いで優良な乳牛とその人工授精技術を導入し、スウェーデンやデンマークからも設備を導入し、その技術水準を向上させた。

 この公司の牧場では、技術員たちが牧草の生長ぶりを観察し、農業労働者たちは輪作のための境界の杭打ちを行っている。経営者の劉樹清さんは、これほど大きな範囲に投資を拡大した理由を「天の時、地の利、人の和を正確に見てとったからだ」と、参観者を前に説明している。

 劉さんの言う「天の時」とは、大慶の「第二の創業」という絶好の機会に恵まれたことを指し、「地の利」とは、牧畜業を発展させることのできる大慶の自然条件を指す。そして「人の和」は、ハイテク区の一流のサービスにある、という。劉さんの見方では、近代的な牧畜業を発展させるという観点からいえば、大慶はまるで処女地のように未来があるというのだ。2003年10月号より

 

大慶ハイテク区の優遇政策


ハイテク区にある「振富科技公司」は、近代的な管理と国際化した経営で知られる

1、 生産型の外資の投資企業で10年以上経営するものは、利益を生んだ年から起算して、その前の2年間の企業所得税を免除し、その後の3年間、企業所得税を半減して徴収する。
 2、 企業の輸出産品の額が、その年の総生産額の70%以上に達した場合は、所得税の徴収を10%減額する。
 3、 新たに投資してハイテク企業を営むときは、生産開始から2年間の所得税を免除し、その後は15%の所得税率で徴税する。
 4、 ハイテク企業がハイテク区で生産と経営の場所を新たに建設するか、購入した場合、都市付属施設費を免除し、建設または購入の日から起算して不動産税の徴収を八年間免除する。
 5、 ハイテク区に建設された、一定規模以上の生産加工型のハイテク企業は、市や県、区に支払う土地譲渡税を免除される。
 6、 ハイテク区はハイテク企業に対し優先的に、技術開発基金、ベンチャー基金、商品代金の担保を提供する。
 7、 ハイテク区は、ハイテク企業に対し「三先三後」と「四つのゼロ」の優遇策を実行する。

 「三先三後」とは――

 @「先投後退」 これは資金の有効な配分や土地の価格を株式に換算するなどの方式で、公司が操業を始め、プロジェクトを建設し、生産を行えるよう政府が投資し、その企業が大きく発展した後に、政府の投資した株を引きあげるか、あるいは優先的に投資者に転売する。

 A「先租後売」 これはまず、投資者のために新しい工場を建てるか、あるいは遊休資産を賃貸し、その後、その企業の必要に応じて分割してそれを売却し、それによって企業の基本建設にかかる投資を少なくする。

 B「先借後還」 これは科学技術ベンチャー資金や断続的な財政資金、工業発展資金を利用して、短期的に資金繰りに困難が生じても、規模が大きく、発展の見込みがあって、返済能力のある重点企業に対し、短期ローンを提供する。

 「四つのゼロ」とは――

 @「認可ゼロ」 国家の政策に合致する大きなプロジェクトに対しては、代理認可制を実行する。新企業の創業サービスセンターや各種の創業園区の不動産管理公司が、投資者に代わって各種の認可手続きを行い、投資者が政府の認可部門と接触する必要がない。

 A「経費の徴収ゼロ」 すべての不合理な経費の徴収を廃止し、最大限、投資者の負担を軽減する。

 B「待ち時間ゼロ」 各種の投資公司が生産企業に対し「工業団地」を建設し、標準的な専門工場を提供する。生産企業はすでに建てられた工場を自分で選び、機械設備を設置し、すぐ生産を始めることができる。

 C「借用料ゼロ」 新たに建てられた標準的な工場や遊休の工場、設備を、ハイテクの大プロジェクトと認定されたものに貸し出す場合、初年度は使用料ゼロ、2年度は50%、三年度は80%を徴収する。特殊な状況がある場合は事情を酌量して減免することができる。