特集 じわりと変わる日本語教育 (その2)
教室に入る日本のサブカルチャー
  
 

 張春弟さんは現在、NECの中国有限会社に就職し、同社の事業発展部の部長を勤めている。彼は見るからに聡明で実行力があり、話には筋道が通っていてソツがない。歳はまだ36だが、彼と日本語との付き合いはもう24年にもなる。

社会に役立つ日本語を

NECに勤めている張春弟さん(中央)は、新規採用者の面接試験をしている

 彼は大学時代、日本語教育を受け、さらに社会に出てから日本語の翻訳の仕事に従事したが、その十数年の間に3回、彼は深刻な体験をしている。

 最初は、大学を卒業し、ある雑誌社に「分配」され、日本語の翻訳の仕事に従事した時のことである。当時は卒業後、就職先を割り当てられたが、それを「分配」といった。彼は、中学、高校の6年間、日本語を学び、さらに吉林大学で日本語の本科四年を修了したから、日本語の水準はかなり高かった。しかし、彼が翻訳した日本語の原稿は、日本人の専門家の手が入ると、全体に直しの朱筆が入って真っ赤になってしまった。誤訳も非常に多かったという。

 もともと学校で学んだ日本語は、日本語と日本文学が多く、その他の面の知識はあまりなかった。だから、政治や経済、文化、社会などにわたる文章は、翻訳する力がなく、彼はその任に堪えなかったのである。

 第2回は、彼が日本の証券会社に就職したばかりのころだった。彼の日本語は流暢なのだが、日本人の社員たちが証券や金融業務に関する話をしている時、彼らの話に加わることができなかった。なぜなら、証券や金融の知識は、大学で教わったことがなかったからだ。

 3回目は、現在のNECに来たときだった。この会社が生産販売しているのはハイテク商品だが、多くの技術的知識や市場の状況を彼はまったく知らなかった。だから、仕事の面でも付き合いの面でも非常に難しく、一時は適応できないと感じたこともあった。

北京外大の構内にある日本学研究センターは、中日合作でつくられた中国ではじめての日本研究学院である

 こうした三回の転職を通じて、張さんがいま深く感じていることがある。それは、これまでの大学の日本語教育は、言葉の学習に偏りすぎて、学生の総合的な知識と基礎的な能力の訓練と育成に欠けていた、そこから育った学生は、知識がやや狭く、視野と考え方が広くない、ということである。

 張さんは、大学教育は必ず社会や実際の状況と密接に結びつかなければならない、学生の総合的能力を育成するのに、力を入れなければならない、と考えている。

変わってきた教育の方針や内容

日本学研究センターの授業は、中日両国の教師によって行われている

 大学での日本語ブームの出現にともなって、近年、大学の日本語教育は教育方針や教育内容の面で調整と刷新が進行中だ。北京外大の本科生で言えば、1970、80年代は、当時の社会や時代の制約を受け、教育方針は、日本語・日本文学を学ぶことのみに限定されていた。だから学生たちは、それ以外の知識の面はかなり欠けていた。

 教育内容の面から見ると、80年代以前の教材は、数が少ないうえに古く、一つの教材を十年も使うため、内容は時代遅れだった。当時の大学一、二年生の教材は『日語』『基礎日語』『日語語法』といった類の教科書しかなく、講読教材は大部分、タイプで打った謄写版印刷のものだった。

 社会の発展と需要に適応するため、多くの大学は教育方針を調整し、外国語の言語・文学ができる学生を養成することから、会話もでき、一定の知識もある学生を養成する方向へと転換した。現在、社会が求めている大学生は、日本語が分かるだけではなく、その国の国情を理解し、その国の社会や政治、経済、文化の各面の知識と修養を具えていることだからである。

 このため、多くの大学では教育内容を大幅に修正した。北京外大では、大学一、二年の低学年課程で、もともとあった「精読」「会話」「聞き取り」などの基礎課程のほかに、「日本概論」「中日関係史」などの選択科目が増えた。三、四年の高学年課程には、「ビジネス日本語」や日本の社会、経済、文化、民俗、法律などの教育内容が加えられた。

 ある大学では、東京外国語大学が編集した外国留学生専用の日本語テキストを導入し、日本の中学校教科書や作文を教材の中に取り入れた。またある大学では、インターネットを使って日本の一部の大学との通信教育を行い、学生たちが日本の大学で教えている教育内容やそれに関連する知識、情報を学習し、掌握できるようにした。これは学生たちがもっと日本を直接、理解するのに役立っている。

 こうした学校の方針と教育内容の調整、刷新が成功していることは、学生たちの卒業論文の内容が変化したことによって実証されている。かつての学生の卒業論文の題材は、大部分が日本語や日本文学の面に限られていた。しかしいまは、60%の学生の卒業論文が、日本の社会、経済、文化、法律にかかわるものである。学生たちの知識は広くなり、卒業後、仕事の需要にすばやく適応することができるようになった。

秦剛先生の新たな試み

瀋陽で開催された日本語弁論大会。中国の各都市で、さまざまな日本語のコンテストが開かれている

 秦剛さんは、北京の日本学研究センターで、日本文学を教える助教授である。最近、彼が中心となって編集した映画文芸評論『感受宮崎駿』が出版された。この本は、日本の有名なアニメの大家、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『千と千尋の神隠し』などの多くのアニメ作品を紹介し、宮崎駿の創作思想や芸術的な風格、美的感覚などについて分析し、解釈を加えており、中国映画界や多くの映画ファンから称賛された。

 実はこの本は、日本の流行文化を、秦先生が日常の教育の中に組み入れたものであり、この本に収録されている文章はみな、彼の授業で、学生たちが彼らなりの理解を思うままに発言したのをまとめたものなのだ。

 2002年、秦先生は北京外大の日本語学部で教えたが、そのときの講座は、三年生の「日本文学研究」だった。この大きなテーマを彼は試みに「小津安二郎の映画文芸の鑑賞と分析」という題に変えた。小津安二郎は、日本の1950、60年代の有名な監督で、その代表作には『東京物語』『晩春』『秋刀魚の味』など多くの作品がある。

 小津に関する講座では、秦先生が映画のテーマの思想や芸術的特色、手法などについて主に発言し、それを分析する過程で、学生たちに問題を考える角度と方法を教える。その後、学生たちがそれぞれの見方を発表し、みんなでいっしょに討論し、意見交換する。最後に、学生たちはそれぞれ中国語約一千字で、小津作品の分析と鑑賞の文章をまとめるというものだった。

 宮崎駿のアニメ作品をどう受け止めるかは、秦先生の新しい教育の第二の試みであった。そのやり方は、小津の講座と大同小異で、秦先生が授業で主に講義し、多角的に宮崎駿の作品を分析し、研究の視角や考え方について学生たちを啓発する。学生たちは相互に意見を交換し、検討を深める。

 授業の雰囲気は非常に活発だった。授業のあと学生たちは、自分の発言を整理し、評論文を書く。その中から最後に13篇が選ばれて、『感受宮崎駿』の中に収められた。

 こうした教育を通じて、学生たちは多くの知識を学んだ。彼らの思考方法は訓練され、高まった。一人の学生は、秦先生へ送ったショートメッセージの中で、こう述べている。

 「『感受宮崎駿』がすでに出版されたのを見て、私は心から感動しています。これは、私の大学時代のもっとも美しい思い出になるでしょう。私は末長く、この感動を忘れません」(2004年8月号より)