特集 西部大開発を引っぱる人口世界一の巨大都市・重慶

変わる庶民の暮らし

走り出したモノレール

重慶最大の広場、人民広場。毎日、朝晩は多くの市民でにぎわう

 山に沿って発展した重慶は、昔から交通が不便だった。しかし2004年11月、全長18キロのモノレール、校新線(校場口―新山村)が開通し、正式に観光用に運転が始まった。これは重慶で初めてのモノレールであり、中国西部地区では最初のものだ。開通当日、重慶市民は老いも若きもこれに乗って、モノレールの便利さと速さを体験した。

 重慶では、軌道交通を建設するのが重要な発展の方向になっている。山地の特殊な地形や固い地質構造のため、重慶の軌道交通は投資の面でも施工の面でも、他の都市とは比べ物にならないほど費用がかかり、技術的にも難しい。校新線は2000年12月に建設が始まり、4年がかりで完成したが、建設費用を抑えるため、跨座式の単線方式を採用した。

 重慶では2010年までに、3本のモノレールと地下鉄一本(四号線)を建設する予定だ。それが開通すると、重慶の軌道交通の輸送能力は数十万人分増え、都市交通の難題が大いに緩和される。

人々の住居の内部も大いに改善された

 道路や橋も新たに建設されたり、拡幅されたりした。重慶には長江と嘉陵江を跨ぐ大橋が20以上あり、「橋の都」と呼ばれているのも誇張ではない。長江や嘉陵江に沿って走る道路からは、近代的な大橋や滔々と流れる水、高くそびえる摩天楼が望まれる。重慶はすでに、近代的な都市の風貌をもち始めた。

 夜半、南山から重慶の街並みを眺めると、無数の電灯が輝き、重慶の中心部を挟んで流れる長江と嘉陵江に電灯が映って、素晴らしい夜景が見られる。

次々に生まれる新区

河にはり出して建てられた低くて老朽化した建物に代わって、河に沿って走る道路がつくられた(写真・周科佩)

 直轄市になってから、重慶の中心部は大規模に改造された。道路は拡幅され、老朽化した住宅区は取り壊された。そして新しい街並みが出現した。渝中区は古い街で、以前は人口が密集し、交通は混雑していたが、今は重慶の金融と商業の区に生まれ変わった。

 渝中区にある「競地城市花園」という社区(コミュニティー)は1400戸、3000余人が住んでいる。ここに住む杜さんというお年寄りによると、数年前までこの一帯は老朽化した住宅区で、杜さん一家3人は16平方メートルしかない狭い小屋の中で暮らしていたが、昨年、この一帯が改造され、古い住宅が取り壊された。杜さん一家は2万元を払って、90平方メートルの新しい住宅に入居した。この地域の衛生環境は良くなり、気分は爽快になったという。

 お年寄りたちは社区の老人大学に参加し、毎日午前中、講義を聞いたり、絵を習ったりして、潤いのある生活を送っている。

 重慶の都市構造のもう一つの特徴は、渝中、江北、沙坪ハなどそれぞれの区が比較的独立していることだ。各区は商業や生活面でも充実しており、公共施設もかなり整っている。

 世界銀行がこのほど中国の23の都市に対して行った投資環境調査で、重慶は第5位に入り、西部地区ではトップだった。

重慶名物「火鍋」

重慶の火鍋は、今では重慶人にも観光客にも、もっとも喜ばれる料理となっている

 重慶の街でもっとも目を引くのは、流行のモードを着た女性と「火鍋」の店だろう。重慶の気候は湿潤で、日照が少ない。こうした独特の気候のせいで女性は皮膚の色が白くて美しく、流行のモードで装えば、人ごみの中で大いに目立つ。

 このほど、ネット上で、中国で女性が美しい都市の調査が行われたが、重慶は大連に次いで第二位だった。かつて重慶は、西部の「小上海」と呼ばれた。重慶の女性は、上海の流行をすぐに取り入れたからである。

 重慶の女性にはもともと「辣妹子」という称号がある。彼女たちは性格が明るく、流行の服を着ているうえ、辛い「火鍋」を好んで食べるからだ。また、歯に衣着せず、ずばずばとものを言うので、「きつい女の子」という意味でも使われる。

 重慶の「火鍋」は辛く、しびれるのが特色だ。野菜や肉を、トウガラシとコショウのいっぱい入ったホーコーツの中に入れて、しゃぶしゃぶ風に食べる。重慶の人々はこれが大好きで、大きなレストランから街角の料理店まで、どこでも「火鍋」を食べさせる。

 重慶「火鍋」の発明者は、港の労働者だと言われる。彼らは人が捨てた牛の内臓を、トウガラシのいっぱい入った油の鍋で煮て食べてみた。すると思いのほかうまく、その後だんだんと「火鍋」という食べ方が世に広まった。1931年、重慶に最初の「火鍋」の店が現れた。現在は重慶の渝中区だけで3000軒の「火鍋」の店がある。

資料

 ▽重慶の歴史

 重慶には3000年以上の歴史がある。ここは巴渝文化の発祥の地である。

 2万〜3万年前の旧石器時代の末期、人類はすでに重慶の地で生活していた。紀元前11世紀、商(殷)・周の時代に、巴人が重慶を中心に巴国を建てた。

 重慶は昔、江州と呼ばれた。後に、巴郡、楚州、渝州、貢州、恭州とも呼ばれた。

 1189年、先に恭王に封じられていた宋の光宗が帝位に就き、自ら「双重喜慶」(慶びが重なる)と言い、それまでの恭州を重慶と改めた。重慶の名はここから始まった。

 1929年、重慶は正式に市となった。1937年、抗日戦争が起こり、重慶は中華民国の副都となり、中国の抗日戦争の「大後方」となった。

 解放後、重慶は四川省が管轄する市となり、1997年6月、正式に、中国の四番目の直轄市となった。

 ▽重慶の有名レストランと料理

 容村:五十数年の歴史があり、元の名は燮園飯店。

 口袋豆腐(揚げ豆腐の巾着煮)、大蒜鯰魚(ナマズとニンニクの炒め)、早蒸回鍋肉(肉と野菜炒めの蒸しもの)が有名。

 頤之時:店の名は「頤養身体 延年益寿」(身体に栄養を取って長生きする)から来ている。

 開水白菜(鶏のスープで煮込んだ白菜)、一品海参(ナマコの一品料理)、干焼岩鯉(コイの煮付け)。

 重慶飯店:大きな会議や観光客を受け入れる高級ホテル。

 鍋巴肉片(おこげの肉あんかけ)、樟茶鴨子(クスノキと茶の葉で燻したアヒル)、家常海参(ナマコの家庭料理)。

 臨江仙魚頭火鍋:重慶伝統の火鍋料理の専門店で、独特の味。



 

「直轄市になったので留まった」
                                   交通警官の蒋超さん

交通警官の蒋超さん

 蒋超さんは重慶市の交通警察総隊の警官で、五年以上勤めてきた。

 彼は小さいころから詩や文章の朗読が好きで、なかなか才能があった。2年前、交通警察総隊のコンクールがあり、彼は素晴らしい出来栄えで一等賞になった。

 その後、彼は普通の交通警官から交通総隊本部に転勤し、ラジオ局と協力してつくる番組のキャスターとなった。彼はこの仕事が大変好きだ。なぜなら、毎日、新鮮な話題を聴衆に伝えなければならず、チャレンジ性の大きい仕事だと感じているからだ。

 大学を卒業するころ、蒋さんの同級生たちは北京や上海、広州などへ次々と就職して行った。しかし彼は重慶に留まる道を選んだ。

 「もしあの時、重慶が直轄市にならなければ、私もきっと外に行ったでしょう。でも私は、直轄市となった重慶は、必ず大きく発展するに違いないと思ったのです。今の状況を見れば、重慶の変化は、私を失望させるようなことはありませんでした」と蒋さんはいう。

 「私がもっとも憧れているのは、自転車に乗ってまっすぐな道を猛スピードで飛ばすことです」と彼はいう。だが、坂の多い重慶では、その願いがなかなか実現しない。「週末になるとたまに自転車を借りて、広場で1、2時間乗るのが中毒のようになっているのです」と彼はいくぶん残念そうに言った。

 

「努力しなければ職を失う」
                                       新聞配達の李志奇さん

新聞配達の李志奇さん(写真・王浩)

 李志奇さんの家は、重慶の人民広場のそばにある。毎朝五時過ぎ、空がまだ明けないうちに彼女は家を出る。仕事は『重慶時報』の販売員だ。毎朝、彼女は新聞社にその日の新聞を取りに行き、なるべく早く新聞を読者の手に届けるのだ。

 李さんは、以前、ある工場で働いていた。一年前、その工場が経営不振で破産し、彼女は失業した。生活のため彼女はあちこち奔走し、現在の新聞配達の仕事を始めた。

 新聞配達は大変つらい仕事だ。毎朝、とても早く家を出て、非常におそくなってからやっと家に帰る。深夜まで仕事をしなければならない場合もある。

 だが彼女は、自分の仕事を大切にしている。「いま、重慶は大変な就職難です。仕事はなかなかありません。努力しなければ、仕事を失ってしまうのです」と彼女は言う。

 仕事に対する彼女の態度はまじめだ。どの客にも誠心誠意サービスする。雨が降ろうと風が吹こうと、彼女は定刻に、新聞を読者に届ける。彼女が熱心にサービスするので、固定客は絶えず増加している。

 李さんの両親はもう亡くなっている。夫とも数年前に離婚し、一人っ子の子どもとともに生活している。生活は質素で苦しいが、彼女は笑顔を絶やしたことがない。

 毎朝、彼女は人民広場へ出かけ、一時間、太極拳を練習する。「現代の社会生活はテンポが早く、プレッシャーが大きい。身体の健康が本当に大切です。たとえ仕事がどんなに忙しくても、自分の健康には注意しなければなりません」と彼女は言った。

 重慶では、李さんのように失業し、再就職した人が多い。彼らはみな、自分の努力によって、楽観的、積極的に生活と向き合っている。(2005年3月号より)

 

 
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