特集 新旧が同居するアカシアの大連はいま

現代的な異国情緒に満ちた都市

 現代化を進める発展のプロセスにおいて、大連は徐々にその風格とシンボルを見つけだしていったようだ。東北沿海に位置する大連は、東北地方の豪放さとともに、ヨーロッパの高雅な格調をそなえている。

ロシアや日本の風情街

ロシア風情街

 中国の建築家・梁思成氏はかつて、建築を「音楽が固まったものだ」とたとえたことがある。建築を通して、人々は都市の風情を感じることができる。大連ではいたるところで、高層ビルに埋もれた古いヨーロッパ風家屋を見ることができる。大連に「洋風」ムードを醸しだしているのである。

 大連市の芸術展覧館は、典型的なゴシック様式の建築である。展覧館展示場部の周一民主任によれば、この建物は1900年に創建された。帝政ロシア時代にはロシアの某将校の官邸、日本占領時代には南満州鉄道株式会社(満鉄)の図書館であった。49年の新中国成立後には一度、民家になったこともある。

アカシア祭りでの日本風情街(写真・王士俊)

 大連芸術展覧館では、絵画や写真、彫塑などの展覧会をよく開いている。周主任の話では、日本の北九州・門司港にも、これと瓜二つの建築物がある。大連のこの建物をまねて造ったものであるそうだ。大連と北九州市は、友好都市を締結している。その二つの建物も、両都市の「友好の証」であるのかもしれない。

 展覧館わきの道を入ると、そこがロシア風情街だ。全長430メートル。両側に軒を連ねる典型的なロシア風建築が観賞できるだけでなく、さまざまな本場のロシア製品を買ったり、ロシアの歌舞を観たりすることができる。大連の街は1899年に生まれたが、早くもその2年前、97年の冬には帝政ロシア軍がここに侵入していた。聞くところによれば、大連という名前はロシア語の「はるか遠い」、つまり「ダーリニ」(ダルニ)という言葉の音訳なのだという。彼らは、ヨーロッパとロシアの伝統的な設計にならい、ヨーロッパ風の都市広場や放射状に広がる道路を大連の構造として、ロシア風情をそなえた典型的なヨーロッパ風建築物を造っていった。また都市の設計プランを、ヨーロッパ区、行政区、中国区の三つの部分に分けたのだ。ロシア風情街の所在地は、もとの行政区内にある。大連の解放後、ここのヨーロッパ風建築物や事務所は歴史文化遺産として、いまも保存されている。

 

 ロシア風情街のほか、市内南西部の南山には日本風情街がある。日本の占領時代、ここは日本の将校やその家族の居住地だった。日本の建築家たちがヨーロッパ風建築を吸収して、ここに「和洋折衷」の住宅を建てた。三角屋根で、建物が低い。日本人の生活習慣に合っていて、しかも大連の気候に適していた。いまでは大連の日本文化が集中する場所となっている。休日や祝祭日ともなると、ここではいつも日本の華道や茶道の実演が行われている。毎年の「風情祭」は、いっそうにぎやかである。大連ではいまも、生粋の日本を味わうことができるのである。

歴史を刻む路面電車

路面電車は90年の歳月を経て、いまでも利用されている

 「乗務員になって30年あまり。来たばかりのころは15、6歳でしたから、もうすっかり年寄りになりますよ」。ある女性の乗務員さんが、乗客に切符売りの声をかけながら話してくれた。彼女が働くこの電車が、大連市内を走る路面電車だ。中国では路面電車を残す都市が、わずか四つ。大連と長春、鞍山、香港である。大連の路面電車が最初に建設されたのが、日本占領期の1909年。当時は、全市であわせて13本の路線があった。住民たちが出かけるときは、ほとんどが電車に頼っていた。60年代になると、自動車工業の発展を支持するために、路面電車のレールがつぎつぎと取り除かれた。いまではわずか3本の路線しか残っていない。80年代に入ると、電車は汚染が少ないために、ふたたび人々から重視されるようになり、大連の路面電車も新しい車両へと交換された。

 大連が発展しはじめてから、路面電車もその百年近くの歩みに伴ってきた。乗務員さんの話によれば、この仕事をはじめて30年あまり、電車の沿線環境は、絶えず新しく変わってきた。高層ビルが建てられて、空港から市内までを走る都市鉄道も造られた。しかし、路面電車はいまでも元のレールの上を走っている。「この仕事は時には飽きるし、イヤになることもありますよ。でも、いまの時代は競争が激しいですし、失業するのを恐れています。一生けんめいに仕事をするしかないんですよ」と乗務員さん。確かに大連が急速に現代化するにつれて、人々の生活リズムもスピーディーになってきた。社会の競争とプレッシャーも、どんどん激しさを増しているようである。

東北地方のサッカーの街

日本風情街

 「ナイスボール!」。大連のとある路上で、子どもたちのサッカーを市民が群がり、観戦していた。時おり拍手喝采があがる。大連では、こうした「街頭サッカー」を、いたるところで見ることができる。

 大連っ子はサッカーに対して、とくに熱い感情を抱いている。老若男女を問わず、サッカーがきらいな人はきわめて少ない。大連市民の心には、アイドル的なチーム「大連実徳サッカーチーム」の存在がある。東北地方の人特有の背が高くてガッシリとした体格、豪放磊落な性格をもち、強者の覇気をそなえているからかもしれない。中国でプロサッカーリーグが行われてきた10年間に、大連チームは七回、リーグ優勝に輝いている。現在、ヨーロッパのサッカーリーグで活躍中の中国人スター選手・孫継海とコツ海東は、まさに大連から飛び立った選手たちだ。

 大連実徳チームは、大連っ子の誇りである。ホームスタジアムに行けば、サッカーファンがドラや太鼓を打ち鳴らし、色とりどりの旗を振って大声で叫んでいる。大連実徳チームのチームカラーが青なので、大連スタジアムは青海原になったかのよう。チケットが手に入らなかったファンたちは、仕方なく広場に集まり、大型ディスプレーでの中継を観戦していた。

大連と日本の名古屋から来た子どもたちが、サッカーを楽しんでいた(写真・王士俊)

 ある記者がかつて、このように大連のサッカーを描写したことがある。

 「大連では、サッカー場をよく見かける。そこは毎日、大変なにぎわいだ。以前、大学のキャンパスで、ある若い父親が四歳にもならない息子を連れて、サッカーを練習していたところを見たことがある。また路線バスの車内では、サッカー場へ行く母子のうれしそうな顔を見たことがある。そこからは、大連っ子が骨の髄からサッカーを愛していることが見て取れるし、大連が『サッカー都市』と呼ばれるのもおかしくはない」(2005年6月号より)


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