祭りの歳時記 F
               丘桓興=文 魯忠民=写真  
   
 

 
 
 

民間伝説を表した山東省イ坊市楊家埠の伝統的な木版年画『牽牛織女』

初秋の七夕(旧暦7月7日)の夜――。娘や婦人たちが中庭に集まって、お供えを並べ、織女星(おりひめ星)を祭る。そして、針仕事が上達するようにとひそかに祈る「乞巧」をする。この詩情あふれる星祭りの風習は、いつから始まったのだろう。また、何を意味しているのだろう。

牽牛織女の物語

 七夕節(今年は8月11日)は、古代の星の神話がルーツだ。古代人は夜空を仰いで、さまざまな連想をめぐらせた。それによれば、銀河の東側にあるわし座の3つの星は、牽牛(中国では牛郎と呼ばれる)が天秤棒で2人の子どもを担いでいるように見える。また、銀河の西側にある琴座の織女星と、そばに見える2つの星を機織りの梭にたとえると、東南の4つの星は織り機のように見える。

 この2つの星図は、まさしく「男は耕し、女は機を織る」という農家の暮らしに即している。そのため、3000年あまり前の周の時代から、これらの星の伝説が生まれたのだ。後漢の時代(25〜220年)以降、それはしだいに牽牛織女の恋物語と七夕節に発展してきた。

 七夕の物語とは――7月7日、天にいた7人の仙女たちが、白いハトになって地上の河辺へと飛んできた。仙女たちが羽衣を脱いで水浴びをしていたその時、牽牛が飼い牛の助言によって七仙女(7番目の仙女)の羽衣を盗み、求婚をした。七仙女は天に帰れなくなり、仕方がないので牽牛と夫婦になった。牽牛が畑を耕し、七仙女が機を織り、そうして1男1女にめぐまれた。

七夕の日、広州市天河珠村では祠堂の中庭にテーブルを置き、「乞巧」のさまざまな工芸品を並べる。この地方では、それを「擺七娘」と呼んでいる

 しかし、仙女が人間と結ばれては、天の法を犯すことになる。西王母(古代神話の女神)はたいそう怒り、地上の七仙女をつかまえて天へと戻った。牽牛は死んだ飼い牛が最後に話したことを思い出した。そして、そのふしぎな牛皮をはおり、子どもを入れたかごを担いで七仙女を追っていった。いまにも追いつこうというその時、西王母が玉のかんざしでサーッと線をひくと、たちまち天の川ができて、牽牛織女の2人を隔てた――。

 この悲恋物語に文人たちは感動し、牽牛織女を詠みこんだ多くの詩歌がつくられていった。また、カササギも深く感動したとされている。七夕になるとカササギは天の川に集まって、互いの尾をくわえて橋をかけ、牽牛と織女を橋の上で会わせたという。こうしてこの日、カササギは頭の羽がすこし落ち、体が水でぬれるのだそうだ。

 この日、浙江省の民間では、屋上に向かって稲の穂を投げるという風習がある。カササギに稲の穂を腹いっぱい食べさせて、天の橋を架けてもらうのだという。またある地方では、オンドリを殺す風習がある。夜明けをつげる鳴き声で、牽牛と織女のあいびきを驚かせないようにするためだという。

針仕事の上達を祈る

七夕の夜、女性たちは針に糸を通し、七仙女に対して乞巧をする

 民間における七夕は、星を祭り、乞巧をするための祭りである。山西省ではこの日、若い娘や婦人たちが中庭にテーブルを置き、線香やろうそくを立て、くだものなどの供え物を並べる。また、牽牛織女の剪紙(切り紙)をつくったり、麦わらで橋や織女、子どもを担いだ牽牛と飼い牛を編んだりしている。それから線香をあげ、織女星を祭って拝むのである。

 最後には、乞巧の器用くらべが行われる。これは、女性がそれぞれ針と糸を持ち、もっとも速く針に糸をとおす人が「一番器用な人」だとされる競い合いだ。これは「穿針乞巧」と呼ばれている。

 また「浮針卜巧」と呼ばれる占いもある。これは朝、茶碗に水を入れて、庭に置いておくと、水面にほこりが浮かぶ。昼過ぎに、針をそっと水面に浮かべ、その針の影が雲や花のようであれば、乞巧が成功し、器用な人だと認められる。その反対に、影が粗く、バチや軸のようであれば、不器用な人だと認められる、というものだ。

 乞巧の行い方も、地方によってはさまざまである。陝西省では、女性たちがエンドウの芽を水面に浮かべ、その影の形によって器用かどうかを占っている。山東省や河南省では、農家の婦人がこの日に包んだ餃子の形がよいかどうか、おいしいかどうかで器用くらべをしているという。もし、硬貨やナツメを餡に入れた餃子に当たれば、さらに縁起がいいという。食べる前には、餃子をいくつか屋根に放り、下界におりた七仙女を祭っている。都市においては、女性たちが紅やおしろいを屋根に投げる。織女と化粧品を共用すれば、さらに若く、きれいになるとされるからだ。

 南方の広州、香港、珠江デルタ地域では、民間の人々が七夕節を重んじている。香港では「織女廟」が建てられており、乞巧の行い方もさらに各種各様である。女性たちは早くから「姉妹会」という集まりをつくる。資金を募って供え物を買うほかに、自らの腕を披露する工芸品をつくるのである。たとえば、細く割った竹や色紙でつくるカササギの架け橋、細木でつなぎあわせた亭台楼閣、ガラスや色紙、実をくりぬいた柚子の皮、卵の殻で作った灯籠、丹念につくったカラフルな刺繍工芸、巧みな造形のかぐわしい生け花、リンゴや桃などを削ったり、積み重ねたりして鳥や獣をかたどった、くだものの盛り合わせなど……。

 夜になると、女性たちは供え物や工芸品をいっぱいに並べたテーブルの周りに座り、詩を吟じたり、なぞなぞ遊びをしたりする。また、広東省の地方劇・粤劇で使われる歌の「粤曲」を歌い、広東省の民間音楽「八音」を演奏するなどして、楽しく過ごす。

七仙女を拝むおばあさん

 深夜12時は、伝説の織女が下界に降りるといわれる時間である。この時間になると、みな大喜びで織女を迎え、さらに針に糸を通すなどの方法で知恵くらべや器用くらべをする。そして最後に軽食やくだものを食べて、宴会を楽しむのである。女性のみの七夕節とは異なり、南方のこの祭りでは男性も歓迎される。若者たちは工芸品を誉めたたえるのをキッカケに、頭がよくて手先が器用な恋人を見つけるのである。

婚姻と子授けを祈る

 星祭りで、女性たちが乞巧をする目的は、「器用な女」という名声を得るだけではない。この風習の深い意味は、幸せや長寿を願うこと。とくに娘には結婚ができるように、婦人には子どもが授かるようにと祈ることにある。

 古代の人は、織女星を「くだもの、シルク、宝物などをつかさどる神」として敬っていた。そのため七夕になると、くだものやその砂糖漬け、酒、料理、餃子を並べて感謝の気持ちを表すほかに、織女星に豊作や富を祈るのである。

 昔の中国には、「男女は直接、物の受け渡しをしない」「父母の命に従い、仲人の言うことを聞く」などの封建的なしきたりがあった。そのため若い男女、とりわけ閨房(女子の部屋)に閉じ込められた少女が結婚相手を探すのは難しく、自由恋愛、自由結婚などはもってのほかだった。こうして彼女たちは「縁結びの神」である織女に良縁をたくして、「青春と美貌を守ってください」「気に入った相手を見つけてください」と願っていた。

 甘粛省のかつてのシルクロードの沿道にある一部の村では、夜更けに人が寝静まるころ、娘たちが村を出る。そして「思い通りの恋人を授けてください!」と3回つぶやきながら、ひざまずいて銀河を拝む。その後、ほどなくして仲人が縁談を持ってきてくれるのだという。

 こうした習わしや心理によって、各地の女性たちは七夕になると、河で、または水を汲んできて家で水浴をしたり、器や家具を洗ったりする。そうすることで、髪の黒さとつややかさが増し、器はさらにきれいになるとされている。

各地にある少年宮の多くは手芸クラスを設け、子どもたちに乞巧工芸の作り方を教えている

 チワン族の話によれば、七夕の日は地上の河と銀河が合流するのだそうだ。そのため「銀河の水」で沐浴すれば、美しい髪になるばかりでなく、肌をうるおし、出来物ができることなく、健康的で幸せになると考えられている。また、この日はよく雨が降るので、織女星を祭ったあとは中庭に静かに座り、雨にぬれる時を待つ。この夜の雨は、牽牛と織女が再会を喜ぶ「慕いあう涙」だといわれている。この「うれし泣きの涙」にぬれると、夫婦の愛が強くなり、「別離の苦しみ」から逃れられると信じられているようだ。

 中国には昔、「不孝に3つあり、後継ぎのいないのが一番」という古い礼儀と道徳があった。そのため、子どものない女性はたいへんなストレスに耐えた。甚だしきは離婚に追いこまれ、実家に帰らざるを得ないという悲しい出来事すらあった。こうして、まだ子どものない女性たちは、七夕の日にロウでつくった赤ちゃんを水をはったたらいに入れ、子どもが授かるようにと祈願した。また、夜になると「生育をつかさどる」という織女星を、熱心に拝んでいた。

 その後、中国に仏教が伝わると、民間では観音菩薩が男から女に変わっただけでなく、生育をつかさどる神になった。そのため、織女星の役割がしだいに「子授け観
音」へと移っていった。にもかかわらず、今でも七夕になると箱の中にクモを入れ、巣を張らせる風習がある。これも「乞巧」と呼ばれているが、じつはクモの俗称が「喜子」なので、子どもが授かるようにと祈願するしきたりなのだ。

 また広州では、殻を赤く染めた卵を供え物にして、子どもが授かるようにと祈っている。同様に山東省、河南省で、ナツメを餃子の餡に入れるのは「棗子」(早子、早く子どもができること)の発音からきた風習である。

 いずれにしても七夕節に織女星を祭るのは、女性が知恵や器用さを求めることを名目としているが、より深い意味は娘の結婚を願い、子どもが授かるようにと祈ることにある。娘たちが幸せな結婚をして、円満な家庭をきずくようにと願っているのだ。そのため、七夕は「娘の祭り」ともいわれ、台湾の同胞たちはそれを「中国のバレンタインデー」と呼んでいる。(2005年7月号より)

 

 
   
                            祭りの歳時記F 七夕節

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