名作のセリフで学ぶ中国語(27)

 

無窮動

 

監督・寧 瀛(ニン・イン)
2005年 中国 90分

第6回東京FILMex上映作品

 


あらすじ

 四合院の内部を現代的に改装して住んでいるニューニューは雑誌の編集長。作家である夫は昨夜帰った様子がなく、不審に思って夫のメールをチェックして、自分をよく知っていると思われる女からの夫への卑猥なメールを発見したニューニューは自分の女ともだち3人を大晦日に家に招待し、誰が夫の浮気の相手かを突き止めようとする。

 やって来たのは、女優の琴琴、不動産仲買人の夜太太、有名アーティストの拉拉。それぞれが夫の古くからの顔なじみで、拉拉はニューニューの前に夫と付き合っていたこともある。鶏の足を食べたり、麻雀をしたりしながら、女たちのあけすけな会話は続き、大晦日の夜は更けていく。

 初めは、諧謔に満ちた男遍歴の話だったが、だんだん話が深刻になっていき、特に夜の四合院の雰囲気に触発され、彼女たちは自分たちが育った党の高級幹部の家庭に思いを馳せざるを得なくなり、それぞれの魂の遍歴が独白されていく。

 翌朝早く、かかってきた電話はニューニューの夫の交通事故死を告げる警察からの電話だった。運転していたのは18歳の若い娘だという。取り乱す琴琴に、件のメールをプリントアウトしたものを投げつけるニューニュー。それを読んで、狂ったように笑い出す拉拉。昨夜からの一切を傍観していた婆やが静かに救急電話をかける。

解説

 ずっと北京を撮り続けてきた寡作の寧蟄監督の第4作目。私は数年に一度発表される同監督の作品の大ファン。今回は特に監督と同世代の北京の女性たちを取り上げて、見事な女性映画を撮ってくれたことに大喝采を送りたい。そもそも、この作品を撮るに至った動機が、中国の映画に描かれる女性像が相も変わらず、若く美しく、伝統的美徳を備えているという、全く男の勝手な幻想でしかないものであることへの憤怒からだったというから、そこにまず大いに共感を覚えてしまう。中国でのマスコミ試写会では、「こういう女性たちには恐怖を覚える」と発言した男性記者に、「あなたたちのような男性は観客に想定していない」と言い放ち、「同様にいまだに男に幻想を抱いている女性も私の映画を見る資格はなし」とキッパリ宣言したそうで、ああ、何と痛快と、この作品の字幕を翻訳できたことに心から喜びを感じる。この映画は、3月8日の国際婦人デーに中国国内での上映を予定しているとのこと。「婦人デーに爆弾をぶちかますの」とニッコリ笑った寧瀛監督、ますますファンになりました。次回作は5年も待たせないでね。

見どころ

 女たちを演じるのは、琴琴を演じた李勤勤以外は全員が演技は素人。ニューニューを演じる洪晃は、実生活でも雑誌の出版人で、自らの著作もある。実は陳凱歌監督の前夫人でもある。婆やを演じた章含之は彼女の実のお母さんで、毛沢東の英語通訳だった女性。継父は外交部長だった喬冠華、母方の祖父は民国の志士、章士サである。ニューニューの夫を寝取った拉拉を演じるのは作家でありコンテンポラリー音楽作家でもある劉索拉。この映画の音楽も担当している。天安門事件前に出国、海外で『今天』などの反体制文芸雑誌を発行したりしていた。この2人は監督の個人的な友人だそうで、それぞれが語る話の内容は知る人が聞けば限りなく彼女たちの実生活に近いものなので、エンディングの「純粋に虚構」という断り書きが逆に真実味を増す。中国での公開ではこうしたセレブたちの私生活を覗き見する興味もかきたてられて、いい宣伝になるに違いない。東京FILMexでのシンポジウムでは、「映画は映画館でかけられなければ意味がない。私の今後の課題はスターを使い、商業的な作品を撮りながらも如何にして自分の撮りたい物を撮っていくかということ」と果敢に語った寧監督。芸術性や作家性だけにこだわらない逞しさと旺盛な批判精神でますますユニークな作品を生み出してくれるに違いない。「更年期の女性はますます意気軒昂」と映画の台詞にもあったように、監督と同じ更年期世代の私もますます頑張らねばと大いにエールを送られた気分になった。




見どころ

  低予算で製作されただろうことは予想がついたが、時間の経過にこだわり、途中で中断しながら1年をかけて撮影されたため、カメラマン以下スタッフは何人も入れ替わったという監督の孤軍奮闘の踏ん張りに改めて頭が下がる。これほどストイックな監督も今の中国では珍しい。

  英国のヘレナ・ボナム・カーターと東京国際映画祭では主演女優賞を分け、続く中国国内での金鶏奨でも主演女優賞を獲得した金雅琴は人民芸術劇院所属のベテラン舞台女優。84歳にして初の映画出演だそうだ。「生涯演じ続けてきて脚本を読んで涙を流したのはこれが初めて」と言うこの作品では、頑なで片意地をはったお婆さんが、孫のような若い娘との本気でのやりとりに心を開かされていき、最後はよるべない心の脆さをヒシヒシと感じさせて、見事な入魂の演技だった。アップで見ると、瞳が青く見えたので、緑内障では? と思っていたが、後で聞くと、視力はほとんどないとのこと。それなのに歩くシーンでは杖をついているとはいえ矍鑠として、よろめきもしない。凄まじいまでの女優魂である。それにしても中国はお婆ちゃん女優の層が厚いとつくづく感嘆させられた。

  対して、監督の若い頃を演じた宮哲は、中央美術学院で写真デザインを専攻する21歳の大学生で演技はまったくの素人。決して上手くはないが、体当たりの自然な演技に好感が持てた。実際の本人は役柄とは全く性格が違っていて、内気で口数も少なく、彼女を喋らすのに東京国際映画祭の司会は一苦労していた。そんな彼女を一生懸命フォローする監督も、東京国際映画祭は2度目であるのにティーチインや記者会見の前は相当緊張していて、なるほど自分の分身にこの子を選んだだけのことはあると納得。二人の初々しい返答ぶりに会場からは毎回大きな激励の拍手が沸いていたことを記しておきたい。

  古琴を使った胸に染み入る音楽は竇唯の作曲。ロックミュージシャンとばかり思っていた彼の新たな才能の一面を発見した。(2006年3月号より)

水野衛子 (みずのえいこ)
中国映画字幕翻訳業。1958年東京生まれ。慶応義塾大学文学部文学科中国文学専攻卒。字幕翻訳以外に『中国大女優恋の自白録』(文藝春秋社刊)、『中華電影的中国語』『中華電影的北京語』(いずれもキネマ旬報社刊)などの翻訳・著書がある。

 


 
 













 
   
 

















 
 
 
     
     
     
     
   

 
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。