経
略
台
真
武
閣
経略台真武閣は広西チワン族自治区容県、県城の東文化公園にある、古代道教の社である。唐の詩人元結が大歴3年(768)容莞の経略使(辺境軍事長官)にあり、兵の訓練や風景の鑑賞のため経略台を作った。明の万歴元年(1573)に至り真武大帝を祀って火難を防ごうと、経略台上に真武閣と一連の付属建築を建てた。時が建ち、他の広壮な殿堂は跡形もなくなったが、真武閣だけは四百年後の今も完全に保存されている。「閣」は「楼」と異なり空中に高くそびえ、仕切り板や欄干つきの回廊がない。台(うてな)を基礎に建てたもので、遠景を眺め、仏をまつり、遊び、休息、書籍の収蔵などに用いられる。
真武閣は木造3層、軒が深く、高さ13.2メートル、間口13.8メートル、奥行き11.2メートル、屋根は瑠璃瓦、頂は黄金で飾り、広東・広西特産の大小三千本の石のように固い鉄力木(タガヤサン)を用いて建てられている。
2層に登ると、4本の内柱が3層の床板、梁、屋根瓦などすべてを支え、しかもその内柱は宙に浮いていて見る人を驚嘆させる。この建物で一番奇抜で精巧な部分だ。
1層目から上に突き抜けている8本の大黒柱が2層3層の軒柱になっている。そして長い木材が軒柱を横に貫通してテコとなり、その長い方の一端は軽いが面積の広い軒の部分を支え、短い方の一端は重いが力点の面積が小さい吊り柱、梁、一部の屋根の頂や床板を支え、軒柱を支柱にしてバランスを保っている。
このユニークなテロ構造は中国建築史でも稀な例で、耐震効果にすぐれ、四百年の風雨、地震に耐えて高々と屹立している。
真武閣のもう一つの特徴は、釘を一本も使っていないことだ。それはホゾを組み合わせて建てているからで、これはまさに建築の「奥の手」である。だが決して魯班(魯の国の有名な大工)の仙術ではなく、古代広西の無名の職人の傑作であって、彼らの超絶的技能には現代の我々も恐れ入るばかれだ。
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
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