甲
秀
楼
中国西南部の雲貴高原は、緑の山々がつらなり、山の海原といった趣きがある。貴陽市は、この高原東側の山あいの盆地にあり、貴州省の省都であり、政治、経済、文化の中心地だ。湖北省武漢の黄鶴楼、雲南省昆明の大観楼と同様、 甲秀楼も市のシンボルになっている。
甲秀楼は市の南を流れる南明河の巨大な石(鰲磯といわれる)の上に建てられ、明の万暦26年(1598)当時の貴州巡撫(民政、軍事長官)江東之の提唱で建てられ、四百年近い歴史がある。その後清代に何度も再建、修理したが、現在の甲秀楼は1982年、清の宣統元年(1909)に再建した様式によって建築したもので、同年省級の文化財保護単位に指定された。
「甲秀」は「奇秀甲天下」(奇抜で美しいこと天下一)、「科甲挺秀」(科挙の成績が抜群)の意味で、この楼閣があるため貴州から人材が輩出し、気風も良いといわれる。甲秀楼はその名に恥じないものだ。
3層の、方形の屋根に尖塔を頂くこの楼閣は、高さ20余メートル、12本の白石の太い柱で軒(のき)を支え、周囲は花を彫った石の欄干をめぐられ、紅い窓格子、反りかえった軒、瑠璃の尖塔、と華麗壮大に河中に屹立してる。楼閣の下には白石の橋がかかり、白玉が青い波に横たわるかの如くである。
橋のかたわらの水月台、南側の観音寺、翠微閣等の古建築も修理を終え、互いに調和し、いっそう見映えがしている。
楼上に登って見まわせば、両岸にはしだれ柳と現代的高層建築が立ち並び、古代建築群と鮮明の対照をなしている。夜は入ると提灯に火がともり、楼閣などをあかあかと照らし出している。 歴代の文人墨客が甲秀楼を詠んだものは非常に多く、楼門や柱には現今の書道家による古人の有名な聯(対句)が刻まれ、中でも清の文人、劉玉山の撰した百七十四字の聯は最も人口に膾炙している。この聯は、貴陽の地理的位置、歴史、山河の姿を美しく表現し、「中国で最も長い聯」として、有名な昆明の大観楼のそれに匹敵するものである。
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。