靖国神社に祀られるA級戦犯:木村兵太郎

木村兵太郎は埼玉県人で、1888年9月に生まれ、陸軍士官学校および陸軍大学を卒業した。

1939年3月、木村兵太郎は中国侵略日本軍第32師団師団長に任命される。1939年4月、彼は8000人以上の日本軍を率いて山東省南部の抗日根拠地の掃討を行った。木村兵太郎は無抵抗の民間人を虐殺するよう兵士に命じ、また2000人以上を拘束し、済南の「新華院」強制収容所へ連行し、強制労働させた。

1941年10月、東条英機内閣が発足し、木村兵太郎は陸軍省次長の職に就く。10月24日、東条内閣の主催で大本営連席会議が開かれ、陸軍省が提出した計画に従い、対米開戦のすべての手筈が整えられた。会議後、南方陸軍部隊は直ちに作戦地点へ集結し、海軍も鹿児島を模擬作戦地点とし、真珠湾奇襲作戦の演習を終日行った。この一連の軍事配置において、木村は具体的な計画策定者および指導者だった。11月5日に御前会議が行われ、最終的に木村らが提出したアメリカ、イギリス、オランダに対する陸軍省作戦計画に同意し、12月初めに正式宣戦することを決定した。

 1944年7月、木村兵太郎はビルマ方面軍司令官に任じられる。木村の赴任後も、日本軍の残虐行為に対する放任措置は続いた。さらに30万人余りのインドネシア人青年を「兵補」という名の補助兵力として集め、ビルマやニューギニア作戦へ送り込み、うち9割はジャングルの中で悲惨な末路を遂げた。

日本の無条件降伏後、アメリカ占領当局は、アメリカ、イギリスに対して発動した侵略戦争に参画および画策したとして、木村をA級戦犯容疑者のリストへ入れた。1948年11月12日、極東国際軍事裁判は「侵略戦争共同謀議罪」(反和平罪)、中国に対する侵略戦争罪、アメリカに対する侵略戦争罪、イギリスに対する侵略戦争罪、オランダに対する侵略戦争罪、および「国際法に違反した戦争犯罪」(権限授与、命令、違法行為承認、違法行為無視の責任を含む)等計7項目の罪を犯したとして、絞首刑の判決を下した(無期懲役以下の戦犯は罪名が6項目以下の場合が多い)。 1948年12月23日、木村は巣鴨プリズンで絞首刑に処せられる。

現在、日中両国の関系は新たな困難に直面している。その根本的原因は、日本の一部勢力が歴史問題を正しく認識していないことにある。我々は、歴史問題を正しく認識し、「歴史をねじまげない」ことが必要であり、歴史問題を正しく認識しなければ、日中関系を発展させ、アジア太平洋地区、ひいては世界の平和と発展を維持することはできないと考える。日中国交正常化30年余りの事実が証明するように、歴史問題を正しく認識できたときに、両国関系は健全な発展を遂げる。さもなければ、困難や挫折を迎えてしまうだろう。

靖国神社には第二次世界大戦中に重大な戦争犯罪を行ったA級戦犯が祀られている。彼らA級戦犯は、両手を中国人民、およびアジア各国の人々の鮮血で汚した元凶かつ主謀者である。日本の指導者による靖国神社参拝は、一つの国家があの侵略の歴史をどのように認識し、対処するかという根本的問題に関わっている。

                     「人民網日本語版」 2005年8月5日