天下の名勝 天台山

                   楊勝駿

   

 浙江省中部にある天台山は、国家指定の名勝地で、素晴らしい風景と天台宗開創の地として世に知られている。

  天台山には高い峰、奇岩、洞窟、滝など見どころが多い。例えば、大自然の傑作「石梁飛ニル」は、巨石が崖の頂点に横たわり、水が石の下から勢いよく流れ落ちて、滝となり、その音が山谷で響く。「華頂国家森林公園」には、古木がそびえ、珍しい花が見渡す限りに咲いている。そこには国家保護対象の29種の樹木と28種の野生動物、それに中日両国共通の保護鳥である78種の渡り鳥が生息している。毎年五月になると、ツツジの花が野にも山にも咲きほこり、鮮やかな霞のような、綺麗な風景となる。

  天台山の奇岩、洞窟などは、歴代の文人墨客や僧侶を引きつけてきた。唐代の詩人、僧の寒山はここに隠遁し、修業していたという。

  天台山は天台宗開創の地でもある。境内の国清寺は、隋の開皇18年(598)の建立、現存の殿宇の多くは、過去何度も再建されている。その扁額は清の雍正帝、寺の改築についての碑は、乾隆帝の筆という。中国、日本、韓国、東南アジア諸国の天台宗も、国清寺を祖庭(一派が開創された寺院)とし、関係者がよく参詣にやってくる。

  天台宗の開祖、智 法師は575年、38歳の時、この地に陰栖して思索と実修に入り、これが天台教義成立の成果となった。804年、取経のために入唐した最澄は、智ギの教えを受け継いだ湛然門下の道邃、行満について学んだ。そして805年、帰国後は、比叡山に天台宗を開いた。

  山肌が火のように赤く、形が城のように見える赤城山には、18の洞窟があり、仏教と道教の神がまつられ、なかでも玉京洞は、道教の神仙が住む景勝地の一つとされている。山上の済公院は、天台の人々が地元の賢人で、後世によく知られた済公和尚・李心遠をまつるために建てた寺である。赤城山は済公が少年時代に読書したところで、いま天台県は赤城山のふもとに「済公文化苑」を建設中である。

 天台山は道教の歴史も長い。後漢(25〜220)末、有名な道士、葛玄が天台山で煉丹術を学び、天台山の道教信仰の始まりとなった。

  天台の長い文化の歴史は、多方面に表れている。天台山は深い文化を誇る名山として歴代の文人たちの憧れの場所である。唐代に限っても、300人以上の詩人がかつて舟で天台の流れに遊んだことがある。その中には李白、杜甫、王維のような大詩人も含まれる。宋代の大詩人、陸モホや近代の画家、張大千がここを遊覧したという記録もある。

  明代の旅行家、徐霞客(1586〜1641)は「遊天台山日記」を著作『徐霞客遊記』の第一章にしている。

  天台山に愛情を傾けた文人墨客たちは、その山林渓谷に遊び、不朽の詩文や書画を残した。「李白読書堂」のような遺跡は、現在、国内外の観光客がよく訪れるところとなっている。

  天台山周辺は物産が豊富で、お茶、漢方薬材、山菜などが多く採れる。天台山の雲霧茶は雲霧に潤され、香り良く味の濃いことで有名になり、何度も国内外のコンテストで受賞している。唐代と宋代、日本の僧、最澄と栄西はそれぞれ天台山のお茶の実と茶芸を日本に持ち帰り、広めたという。

  近年、茶文化は中日友好交流の懸け橋となり、天台山茶道演出団も日本を訪問している。

 天台山周辺から採れる、豊富な山の珍味は、いずれも汚染されていない自然食品だ。とくにタケノコ、ワラビ、キノコ類、キウイ、扁平な形の大粒の栗などを大量に産する。また、天台山には千にものぼる漢方薬材があり、中に白朮(じゅつ) 、ブクリョウ、セキコク、長寿不老の薬と言われた「天台烏薬」が有名である。現在では、漢方薬材の栽培地ができ、「仙草」と呼ばれた鉄皮セキコクは人工栽培に成功した。これは世界では始めての例であり、この鉄皮セキコクで作った「鉄皮楓斗晶」は「人類健康の宝」と称えられている。天台山に採れたナス、ピーマン、キュウリなど、「石梁」のマークがついた野菜と「天台山雲霧茶」は、二〇〇〇年中国国際農業博覧会の銘柄品に指定された。

 歴史の神秘に満ち、しかも現在、見事に発展しつつある天台山は、人々の訪れと関連産業への投資を待望している。(2001年7月号より)