北京日本インディペンデント
    映画祭を終えて

    文・菅原慶乃(映画祭実行委員) 写真・黄敬尭

 連日、チケットの無い観客が、会場の入り口にずらりと列をなしていた。6月中旬の北京はすでに「夏」である。開演時刻の午後六時前後、むせかえるスモッグとアスファルトから立ち上る熱気でうだるような暑さ。「チケット無し組」の人山は開演時間が近づくにつれて大きくなっていく。しばしば腕時計に目をやりながら、彼らはじっと入り口のドアを見つめている。今回の映画祭では、様々な理由と制約から入場チケットは販売されず、主催者側から関係者に配布するという形が取られた。チケットをポケットからおもむろに取り出し、さっそうと入場していく「正規」の観客を横目に、チケット無し組の観客の眼差しは時間とともに鋭くなっていく。「チケットがある人がまず先に入ってください! 無い人は、座席が空いている場合に限り、パンフレットを提示すれば後から入れます!」入り口受付スタッフが声を高らげる。開演時間五分前、場内整理担当スタッフが入り口に走ってくる。「まだ全然いけますよ、どんどん入れてください!」この合図を機に、チケット無し組の観客がどっと入り口になだれ込んでくる。「一人でも多くの人に観てもらいたい」というスタッフの気持ちと、「一作でも多く観たい」という観客の思いが重なり、テンションが一気に高まる。これは、上映前の「儀式」となった。

 大きな映画会社につきもののさまざまな制約から比較的自由で、製作側の意図を大いに反映させることができるインディペンデント映画は、その製作形態のみならず、作家の創意を反映する手段として大きな魅力を持っている。それは、映画製作を志す人々全てに共通する魅力であり、映画を見る側にとっても歓迎されている。日本において、インディペンデント映画は古典的な日本映画のイメージを一新するような、新しい映画のあり方を提示した。中国でも「独立電影」に関する議論はすでに起こっている。今回のイベントは、学生を中心として組織された私たち実行委員が、ほぼリアルタイムで体験してきた日本インディペンデント映画の躍動を、等身大で中国に伝え、共に分かち合う場を提供するものだった。

字幕投影準備に追われる
実行委員会のメンバー
 

ティーチ・インの後、殺到し
た取材陣に応じる黒沢清監督

 上映作品は全部で15部、ジャンル・スタイルともにバランスのとれたラインナップの中、特に注目されたのは、『SFサムライフィクション』『ナビィの恋』『アドレナリン・ドライブ』等、軽快さとユーモアに富む、比較的わかりやすいストーリーの作品であった。『アドレナリン・ドライブ』を上映した次の日、電影学院のある進修生(聴講生)から、二千字にも及ぶ感想文を添付したアンケート用紙を手渡された。黒澤明・溝口健二・小津安二郎・大島渚・今村昌平をこよなく愛すという彼女は、「もし黒澤・今村等の作品を冬の映画とするなら、『アドレナリン・ドライブ』は太陽の光まばゆい春の映画だ。こんなすばらしい日本映画はこれまでに見たことが無い」とその思いを綴っていた。彼女の感じた新鮮感は、おそらく場内の観客の多くに共有されていただろう。

 起伏が穏やかで多くの観客が「難解だ」と評した作品に対しても、強いインスピレーションを感じる観客がいた。『ユメノ銀河』を見た後、映画編集に従事するある観客は、「映画というものを本当に理解していなければ、このような作品は作れないと思う」と、ため息をつきながら語った。シナリオ無しで製作された『2/デュオ』の斬新な手法は、観客を唸らせた。笑ったり、野次ったり、どきどきしながら日本インディペンデント映画を「体験」した観客たちのそれぞれの思いは、連日映画館を興奮で満たした。観客たちが感じ、得たものをより充実させるために大きな役割を果たしたのが、『日本インディペンデント映画祭パンフレット』だった。四十四ページに及ぶこのパンフレットは、上映作品のあらすじや監督の略歴のみならず、実行委員会が独自におこなった監督インタビュー、日本インディペンデント映画の流れを理解するために必要な日本映画小史、日本の代表的なミニシアターの解説など、豊富な内容で確実に情報提供する「読み物」を目指して、スタッフが独自に編集したものである。パンフレットは資料として高く評価され、対外販売分だけでも千部近くが販売された。アンケートの回答の中にも、パンフレットに対する賛辞が多く残されていた。これまで中国に紹介されてきた日本映画と、今回のテーマであるインディペンデント映画とのつながりと差異、そしてこれからの日本映画を見つめていく上で、『日本インディペンデント映画祭パンフレット』は大いに参考となることだろう。


空き座席を待つ中国
人学生たちの行列

クライマックスのシンポジウムでは、仙頭武則プロデューサーが熱弁をふるった(写真・藤原伸久)

 『カリスマ』の監督・黒澤清氏のティーチ・イン、最終日に行われたシンポジウムは、中日双方の参加者が直接交流する場として設けられた。「哲学的」「宗教観が深い」「考えさせられる作品」という点に評価が集中した『カリスマ』の黒澤監督には、学生から積極的な質問が投げかけられた。黒澤監督の穏やかで、丁寧な回答は聞き手を独特の世界に引き込んだ。「インディペンデント映画の可能性」をテーマに掲げたシンポジウムでは、日本側からはサンセントシネマワークスの仙頭武則プロデューサー、金森保プロデューサー、中国側からは映画監督の張元氏、芸瑪電影製作公司経理で映画プロデューサーのピーター・ロア氏がパネリストとして参加したほか、主催者である北京電影学院の教授陣や観客も巻き込んで、積極的な議論が繰り広げられた。  北京で映画愛好者の交流団体を主宰するある観客は、今回上映された作品と、中国でこれまで受け入れられていた日本映画のイメージとのギャップの大きさを指摘する。

 「小津安二郎以来の日本映画の伝統は、映画創作の”王道“をしっかり体現してきたものだったと思う。でも今回上映された作品は、そうした”王道“からかなり逸れた作りのものが多かった。中国でも、映画創作の方法については世界中の巨匠のやり方をきちんと勉強して、参考にしているんだ。今回の上映作品の中にはもちろんすごく新鮮で刺激的な作品も多かったし、技術面ではやはり参考にすべき作品もある。でも、やはりあまりに個性的な作品が多かったということで、違和感のようなものを拭い去ることはできなかった。もしかしたら、僕達は日本映画に対する期待や要求が高すぎるのかもしれないね。なにより、新しい日本映画の一面に触れることができて、今までに無い刺激を受けたよ」。


パンフレットは中
国人学生に大好評
 彼の指摘は、私たちのみならず、今後中国で開催されるだろう外国映画祭に大きな啓蒙を与えてくれるものだろう。単に外国映画を上映するだけの映画祭では、中国の観客はもはや満足することはできない。外国映画を上映した上で何を残すことができるのか、真剣に考える段階に来ていることはまちがいない。そうした意味でも、今回の日本インディペンデント映画祭は、大きな実験であった。

 パンフレットの「開幕詞」には、「種をまく」というタイトルがつけられている。これは、何も無いところに突然外来種の種を持ち込む、という意味ではなく、可能性に満ちた栄養豊富な土壌に、一粒の種をまき、ともに育んでいこうという私たちの希望がこめられている。発芽にはどのくらい時間を要するかは現時点では誰にも分からないし、花が咲かなければいったいどのような品種なのかも知るすべは無い。いま今回のイベントを通して、小さな種が豊かな土の中で、ゆっくりと種の殻を打ち破いている様子を身をもって感じている。この意味で日本インディペンデント映画祭は、まだ終止符を打ってはいないのだ。(2001年10月号より)

映画祭データ

日時:6月18日〜24日

場所:北京電影学院

出品作

@ユメノ銀河(石井聰互)
Aカリスマ(黒沢清)
Bトカレフ(阪本順治)
CHelpless(青山真治)
D2/デュオ(諏訪敦彦) 
Eバレッドバレエ(塚本晋也) 
Fナビィの恋(中江裕司)
G渚のシンドバント(橋口亮輔)
Hアドレナリン・ドライブ(知史靖)
Iアンラッキー・モンキー(SABU)
JSFサムライフィクション(中野裕之)
K漂流街(三池崇史)
L水の中の八月(石井聰互)
Mひみつの花園(知史靖)
N2H(李纓)