国際化めざすチベット大学
            文・陳 蓬 写真・王 蕾

   ラサ市のジョカン寺で出会った若い僧侶は、「ここで立派な人間になりたい」と語った。また、チベット大学で出会った大学生は、「ここを出たら、社会に役立つ人間になりたい」と語った。  

 ラサ市街区の東にあるチベット大学に入ると、神秘的なチベットとはまったく異なる風景が目の前に現れた。現代化をめざしてまい進するチベットが、そこにはあった。特殊な社会状況と自然環境のもとに生まれ、発展してきたのが、チベットの現代教育だ。

大学のコンピューター教育楼

 チベット自治区は、平均標高4000メートル以上の高原地帯にあり、ネパール、シッキム、ブータン、インド、ミャンマーなどの国と隣接している。面積130万平方キロ、人口262万人。ここにはチベット族、回族、メンパ族、ロッパ族など数多くの民族が暮らしている。

 1951年の平和解放前、チベットにはいわば近代的な学校がなく、教育の主な形態は寺院の仏学教育だった。その他には、旧式の公立学校と塾がわずかにあっただけ。在校生は、最も多い時でも2000人に満たなかった。また、教育管理の行政機関もなかった。そのため解放前のチベットでは、経済的な条件に恵まれた家だけが、子どもを寺院に送って教育を受けさせたのだ。しかし、寺院で学ぶものは伝統的な知識ばかりで、実際の社会生活には役立たなかった。こうして解放直前まで、チベットの人口の95%以上が非識字者、または半・非識字者だったのである。


チベット大学のイェシェ副学長(左端)は日本を訪問中、東海大学と登山隊・科学チームの協力協定を結んだ(チベット大学提供)

チベット語を勉強する韓国
や日本(右)からの留学生

 チベットの平和解放は、教育事業にも生気をもたらした。以来、チベットは50年にわたる努力をへて、小学校の基礎教育から中等専門教育、成人教育、大学の高等教育にいたるまで、チベットの特色ある教育システムを確立した。

 現在、自治区には各種学校や教育機関が4360カ所ある。大卒の学歴を持つ人が3万3000人で、自治区人口の1・3%、高校・中等専門学校卒の学歴を持つ人が8万9000人で同3・4%、中卒の学歴を持つ人が16万500人で同6・1%、小卒の学歴を持つ人が81万1000人で同30・6%である。青年以上の非識字率は、解放初期の95%から39%までに低下した。チベットの教育事業はかつてないほどの飛躍的な発展を遂げた。現在のチベットでは依然として経費不足や施設の不備といった困難を抱えているが、チベットの若者にとって、寺院は主な教育機関でなくなり、大学に入って学んだ知識を利用して人々の生活を豊かにするのも、もはや「不可能な理想」ではなくなった。ジョカン寺で出会った若い僧侶が「ここで立派な人間になりたい」と言うのに対し、チベット大学で出会った大学生が「ここを出たら、社会に役立つ人間になりたい」と言ったわけがそこにある。

 チベット大学は、チベット教育界にそびえたつ主峰だ。  実際、世界の最高地点に位置する大学であるだろう。キャンパスには陽光が降り注ぎ、校舎の後ろには青山が連綿と続いている。学生たちは日焼けした顔に、陽光のように輝く笑顔と、チベット第一の川・ヤルツァンポ川のように澄んだ目を持つ。それは、チベットの独特な風景だ。青空の下にはためく五星紅旗には、いっそう目を奪われる。

 チベット大学は85年7月、国家教育部の認可により、チベット師範学院をもとに設立された総合大学だ。敷地面積は8万平方メートル。視聴覚施設など進んだ教育施設を持つほか、図書館の蔵書は22万冊をほこる。現在、教職員は616人、うち専任教員が320人。チベット族など少数民族の教員が71・5%を占める。在校生は3120人で、うちチベット族など少数民族の学生が72・1%を占める。

 大学には、チベット言語文学、漢語、政治・歴史、数学・物理、コンピューター科学、化学・生物・地理、経済管理、芸術など八つの学部があるほか、留学生部と三つの修士コースがある。また、チベット言語文学、漢言語文学、物理学、芸術設計など十八の本科と、二十の専攻科を設ける。近年は、チベット語漢語通訳やチベット語・漢語・英語ガイド、民族宗教事務管理など十あまりの高等職業教育専攻科を新しく開設。各分野の人材をすでに一万人以上養成した。彼らは今、チベットの政治、経済、教育、科学研究、医療衛生などの第一線で活躍中だ。

 大学はまた、チベット学研究の専門機関でもあり、全国からチベット学のすぐれた研究陣が集まっている。中国のタンカ(仏画)研究の第一人者・丹巴饒旦さんも、ここに勤めている。チベットが世界に向けて開放されるにつれ、チベット大学も内外の大学と積極的に交流し、アメリカ、カナダなどの専門家や学者による授業や講義を行っている。また、日本、ノルウェー、アメリカ、イタリアなどの国の大学八校や、科学研究機関と協力関係を結んでいる。


タンカを描く美術学部の学生


チベット族の伝統的な楽
器「六弦琴」をレッスン
する音楽学部の学生

 カナダから来た英語教師・アリスさんは、内蒙古自治区に六年、その後ラサに五年勤めている。「私はここの生活が好きなの。飛行機から降りたとたん、ここの陽光にひかれたんですよ」と彼女は言う。漢族とチベット族の学生の多くは、彼女にとってかけがえのない友人であり、チベットを理解するための案内人でもある。

 コロンビアからの留学生・マリオさんはラサへ初めて旅行に来たとき、地元の人たちとサッカーをしたことがキッカケで、この地が好きになった。今はここで中国語を勉強している。「ボクの先生はチベット族ですが、すばらしい中国語を話されますよ」と彼は言う。

 日本からの留学生も少なくない。93年から受け入れた日本人留学生は、大阪、神奈川、京都などからの18人。酸素の少ない高原地帯での生活に耐えながら、根気と情熱でチベット語や音楽、美術などを学んでいる。美術を専攻する日本人の留学生は言う。「チベットにいると、泉のように創作のインスピレーションが湧いてくるんです。人間や風景、目にしたすべてが絵になる美しいところです」。もう一人の日本人留学生は、「言葉や生活、芸術、音楽、それに宗教。ここのすべてが私の心をとらえて離しません」と言う。日本人留学生のみならず、チベット大学の留学生全員の本音であろう。それぞれ国籍は異なるが、秀麗で神秘的、静かで活力のあるチベットに魅了されたからこそ、ここに暮らそうと思ったに違いない。

 チベットを取材する前の5月2日から4日、チベット大学と日本の東海大学が合同の登山隊・科学チーム活動を行い、中日両国の大学生十七人がロザ県内にある、未踏峰の庫拉崗日山の東峰(7538メートル)と中央峰(7418メートル)の登頂に成功した。両校は、今回の活動をキッカケに、今後も学術、教育、科学研究など各分野で協力を続けていく。チベット大学の益西副学長の話によると、今年、東海大学の招きでチベット大学代表団が訪日する予定だという。

チベット大学と東海大学の合
同登山隊が、未踏峰の登頂に
成功(チベット大学提供) 

 チベット大学を離れるとき、さまざまな思いが脳裏を去来した。資源の豊かな宝庫・チベットは、知識の創造によって開発されなければならない。教育こそ、その宝庫を開くカギである、と。(2001年10月号より)