平和への願いたくして
     
          栗原小巻(女優)

 日本を代表する女優のひとりで中国でも有名な栗原小巻さんがこのほど、北京で開かれた「東アジアこども芸術祭」(主催・ユネスコ北京、中国ユネスコ国内委員会)に出席し、平和への願いをたくした自作のメッセージをこどもたちに送った。映画に、舞台に、文化交流に、「中国との深いご縁を感じる」という栗原さん。今回の活動や中国への思いなどについて、じっくりと語ってもらった。

 こんにちは/わたしたちは、今日、北京であった/初めてあったのに、皆、笑顔だ/まるで、以前から知っていたように/微笑みかけてくる/そうだ――今日は、わたし達の友情の日だ/心の窓が 開いていく(以下略)

 「友情そして未来」と題したこのメッセージを、今回初めて開かれた「東アジアこども芸術祭」(8月21〜23日)で発表いたしました。

 中国、朝鮮民主主義人民共和国、日本、モンゴル、韓国の五カ国のこどもたち、学齢前児童から高校生まで約四百人が一堂に会して、自国の文化を披露することで交流を深めたのです。歌や踊りに、雑技に武術……。それはもう素晴らしい芸術で、会場の天壇公園(特別野外ステージ)などにも大勢の方々が見に来てくださり、好評を博したのですよ。

 メッセージには「友情こそが平和につながる。こどもたちの未来には、真の平和が訪れてほしい」という願いを込めました。大人の世界では今も、歴史認識や経済摩擦といった難しい問題が山積していますが、こどもたちにはこうした機会に心からの信頼関係や友情を築いてほしい、お隣の国のことを学んで、互いに理解してほしい。そしてそれが、平和な未来を築くキッカケになってくれれば、と心から願ったからです。

 三日間の短い間でしたが、こどもたちは友情の輪を大きく広げたようです。言葉の壁を乗り越えて文通を約束したこどもさんもいたのですよ。今回の成功で、芸術祭は今後も開催が検討されているそうで、私もとてもうれしく思っております。

 中国の方々は、出会いやご縁をとても大切にしてくださいます。20年あまり前の1978年、中国初の日本映画祭で公開された『サンダカン八番娼館・望郷』(中国題名『望郷』)や、続いて公開された『愛と死』(同『生死恋』)の栗原小巻のことを今でもハッキリと覚えていてくださる方々が多いのですよ。

 その後も、中国とは深いご縁があって、日中共同製作のテレビドラマ『望郷の星』に出演したり、ブレヒト作『セツアンの善人』を北京、上海、広州、香港で上演したり……。中国映画の巨匠・謝晋監督の『乳泉村の子』(中国題名『清涼寺鐘聲』、91年中国・香港合作)に出演したことも、忘れられない思い出です。日中国交正常化20周年を記念して作られた中国残留孤児の物語で、敗戦による引き揚げの混乱の中で、泣く泣くわが子を手放さなければならなかった母親、大島和子を演じました。

 撮影はほとんど上海の映画製作所で行われましたが、監督もスタッフも温かく迎えてくださり、何の苦労もありませんでした。あえて言えば、和服を自分で着付けたこと位でしょうか(笑)。映画作りに没頭するあまり、うっかり互いに外国人だということも忘れて母国語で話しかけたりと、笑い話のようなエピソードもありました。

 演じる上では、辛い立場に立たされた日本の母の苦しみや悲しみを表現することができれば、そしてそのこどもたちを大切に育ててくれた中国の養父母の方々に感謝の気持ちを込めて演じることができれば、と強く念じておりました。歴史を見つめ、未来への平和と友好を願った謝晋監督の感動大作です。機会があればぜひ多くの人に見続けてもらいたい映画のひとつです。

 先日はまた、中国で急逝された團伊玖磨先生の「偲ぶ会」(7月17日、東京)の司会を仰せつかり、日中双方からたくさんのご参列をいただきました。この場をお借りして、関係の皆さまに厚く御礼を申し上げます。團先生は生涯をかけて中国との交流を大事にされた方です。芸術的にも人間的にも非常に尊敬しておりましたので寂しい気持ちで一杯ですが、私たちはぜひともそのご遺志を継がなければなりません。

 中国は、私にとっては「母なる大地」です。中国で生まれた文化が、シルクロードや海を経由し、外国にもたらされました。また外国から中国を経て、日本まで渡った文化もあります。中国は文化の拠点であり、宝庫です。今回は10回目の訪中でまだまだ勉強不足ですが、これからも中国のことを学んでいきたい。それには、もっと『人民中国』を精読することが必要ですね(笑)。そして微力ながら、今後も仕事や文化の方面で日中交流のお役に立てれば、と思っております。(写真・構成 小林さゆり) (2001年11月号より)