@Japanわたしと日本

文化事業プロデューサー 菊池領子
中国演劇『非常麻将』との出会い

 

 初めて北京を訪れたのは、1997年5月のこと。翌年夏の5週間の短期留学を経て、99年2月から、北京語言大学(当時の北京語言文化大学)の速成学院へ1年の留学を決めた。30代での社会人留学である。1年の充電期間中にプロデュースすべきものを見出したいと願った。

 そんな気持ちから、平日、週末を問わず、毎日精力的に外を歩き回った。唐詩の朗読会、京劇・評劇などの伝統劇の公演、胡弓(二胡)や琵琶の演奏会から、ロック、ジャズ、モダンダンスなどの新しい芸術分野まで、幅広く足を運んだ。ちょうど建国50周年と澳門復帰をひかえ、発展、開放の気運が高まりつつある頃だった。時代の空気を反映し、意欲的な作品が数多く生まれ、観客として毎日充実した日々を過ごした。

 そして2000年3月、『非常麻将』という現代演劇作品に出会った。北京人民芸術劇院に所属する演出家・李六乙が作・演出ともに手掛けた小劇場作品である。

 「明日何をしたらよいのか」「自分に何ができるのか」

 現代中国人の焦燥感、明日への不安、自分の存在意義に対する問いかけが、中国語初心者だった私にも、ストレートに伝わってきた。なぜならその心理は、いまの日本人にも通じるものがあるからだ。

 

 衣食住に足ることは、人間の基本的な欲求である。しかし、それが満たされたあと、人間はまた、こうした新たな問題に直面する。豊かになりつつある中国の都会人はすでに、この段階に達しているのだ。『非常麻将』を観た時、そのことをはじめて認識した。

 そして思った。この作品を日本でも上演したい。きっと日本人の知らない現代中国人の姿を伝える役割を果たせるに違いない。バブル崩壊後、先の見えない不安の中で過ごす現代日本人の共感を呼ぶだろう。また、演出、演技、舞台美術のレベルの高さは、日本の演劇界にとって大きな刺激となるに違いない――。そんな思いから、李六乙氏に手紙を書いたのは、北京公演が終了した2000年4月のことだった。

 それから3年。1年の予定だった留学は、1年また1年と延長され、この1月には、本科(正規コース)生として卒業式を迎えるに至った。現在、3月と4月の『非常麻将』の日本公演の準備で慌しい日々を過ごしている。もし、この作品に出会わなければ、今ごろ、文化事業プロデューサーの仕事はしていなかったに違いない。四年にも渡る留学もなかった。

 招聘に応じてくださった李六乙氏並びに出品人の中国国家話劇院の趙有亮院長、そしてこの企画に賛同し主催をお引き受けくださった平田オリザ氏(青年団)に、心より感謝の意を表したい。折りしも、今年は日中平和友好条約締結25周年の記念すべき年にあたる。それにふさわしい実り多い公演にしたいと思う。桜の花を愛でながら皆で美酒を酌み交わす。そんな春の夜を迎えるべく準備に余念のないこの頃である。(2003年4月号より)

東京公演 
青山円形劇場 2003年3月25日(火)〜27日(木)
伊丹公演 
AI・HALL 2003年4月4日(金)〜5日(土)
公演問い合わせ:
青年団 03-3469-9107
http://www.seinendan.org
企画問い合わせ:
R PRODUCTION 菊池領子
ryoko@888.104.net