独居老人を支援して12年 ナイチンゲール記章 文・李彦春 写真提供・司こん範
中国では独居老人の家が、社会学者に「空巣」と称されている。「空巣」とは「音と声のない家」のことで、そこで「時間をつぶしている」のが彼らの暮らしの現状だ。「空巣」にひきこもる高齢者たちは、外出や通院に消極的で、そこから脱出する一縷の望みも失せて、寂しい毎日を過ごしている。 統計によれば現在、中国の「空巣」率はすでに26・4%。それは高齢化社会が進むにつれて増加しつつある。介護サービスがまだ不完全な中国では、いまや「空巣」が高齢化社会の最大の問題点となっている。 そんな中、この問題を解決しようと12年間奮闘してきた人がいる。司こん範さんだ。彼女は元北京市朝陽病院婦長で、1985年には中国第二回ナイチンゲール記章を受章(クリミア戦争で活躍したフローレンス・ナイチンゲールの功績を記念して、優秀な看護婦に与えられるメダル)。以来12年間、独居老人のための「老人介護サービス志願者行動」を実践し、家庭から社会へと介護態勢を広げるルートを築いた。孤独な「空巣」家庭に、希望と光をもたらしたのだ。 老衰は自然の摂理だ 88年、58歳で定年退職する前のことだ。司さんは中国第一回ナイチンゲール記章受章者・王秀英さんに相談して団地の「空巣」老人の介護サービスを始め、その献身的な活動が王秀英さんの支持を得た。当初、市内団結湖地区の街道弁事処を訪れた司さんが「団地に住む身寄りのないお年寄りを世話したいのですが」と申し出ると、弁事処側は大歓迎だった。翌日から弁事処のスタッフと共に調査すること一日半。結果、区内には身寄りのない63〜91歳までの老人が15人いて、みな老人性疾病に悩まされていた現状をつきとめた。彼らは通院にも困難が伴うので、病気を我慢するより他なかったのだ。ある老人は「長生きは必ずしも幸せではないよ。苦しいことだ」と辛い胸の内を明かした。司さんは老人に自宅の電話番号をのこして「何かあれば、いつでも連絡してください」と励ました。 彼女の取り組みは、まず老人たちのカルテを作り、一人ひとりの血圧を測定した。次に血圧が二百以上の老人を毎日訪ねて血圧測定し、薬を飲ませた。そうするうちに、ある老人は故意にドアを開けて、戸口で彼女を待つようになった。それは彼女の胸を強く打つものだった。はじめは独居老人たちは貧しく、知識がないだろうと思っていた。が、付き合ううちにわかったのは、この余命幾ばくもない老人たちの多くは、かつては国のために貢献した功労者だったこと。「今では病魔におかされ、世話する人もなく床に伏せり、過去の功績を振り返るだけです。なんとつらいことでしょう」。以来、司さんは老人たちの幸せな晩年のために一層努力するようになった。「老衰は自然の摂理で、誰しもが避けられないもの」と深く理解するからだ。 何人かを助けられるか 老人介護をする中では、彼らの病気と孤独への恐れを痛いほど感じた。病気の多くは孤独感から引き起こされていたので、彼女は介護と同時に彼らの孤独感を振り払うよう努力した。 高齢の趙さんは臨終を迎えた時にこう言った。「私には子どもがいないが、あなたが世話してくれたのでもう満足だ」 また、孫桂春さんは患者のために尽力してきた元女医だ。年老いた彼女のために、住民委員会や司さんら7人が肉や野菜を買うなどして誠心誠意、世話をした。ある年の「臘八節」(旧暦12月8日)には、孫さんは3人から同時に「臘八粥」(臘八節に食べる粥。祖先に供え親戚や友人に贈る)を受け取った。「病気が少しでも治れば、あなたの仕事を手伝うわね」と新たな生きがいを見出したかのように、元気よく司さんに語っていた。
60歳の娘と司さんの付き添いで病院へ行った韓さんは、手続き中に娘が持病の心臓発作を起こすという災難に見舞われた。司さんは同時に二人の面倒をみなければならなかった。韓さんの治療後、娘は司さんに800元(1元は約14円)の感謝料を払ったが、司さんは全額を街道弁事処に寄付して貧しい老人を助けた……。 司さんはそこまで話すと、感慨深げに「一人の力では、ごく僅かしか助けられませんよ」と言って介護記録ノートを差し出した。ノートには、独居老人一人ひとりの病状の変化と介護状況が詳しく記録されていた。彼女はこの12年間に、3912件の「家庭治療看護」を記録。最初に世話をした15人の老人のうち、すでに12人が亡くなった。これまでに29人の介護をして、現在は12人の世話を続けている、という。 時間貯蓄に参加しよう 司さんは北京市赤十字協会から志願活動者証書を授与されている。褐色の証書で、番号は先頭を示す〇〇〇〇一だ。証書の「志願サービス活動記録」のページを開くと、年月日、サービス内容、サービス時間、確認の四項目が記されている。「これは時間貯蓄といいます」と彼女は説明してくれた。「若い時に志願して老人や弱者、病人、体の不自由な人の介護をすれば、その実績はもちろん、時間は特に詳しく記録されます。つまり時間の貯蓄です。志願者自身が老いて介護を必要とする時、証書を提出すれば、若い志願者が喜んで世話をするというわけです」
司さんは、自分でも老いと力の衰えを感じている。そこで住民委員会には、老人介護ヘルパーの配置と、教師や医者・弁護士やその他の専門技術を持つシルバーボランティアの配置、団地の病院と赤十字協会との一体化、個別介護、若者の老人介護サービスへの参加、老人福祉施設の増設など、介護態勢強化に向けての提案をした。志願者の育成だけでなく、団地のサービスシステムを完備しなければ片手落ちだと、司さんは強調する。 団結湖中路住民委員会では現在、老人調査、血圧測定、環境衛生、若者の高齢者サービスなどの各グループを設け、具体的なサービス内容をそれぞれ規定している。例えば老人調査グループのサービス内容には買い物、散髪、受給代行、治療、薬の購入など25項目が含まれている。また住民委員会の組織により、毎週火曜日には老人の歌唱会を、水曜日には司さんと志願者たちによる血圧測定と衛生・保健知識の講義を、金曜日には居住区の掃除をそれぞれ行う。 司さんは、これらの活動からさらに「人間には子どもがいなければならない。血縁は人間の親しい関係と責任を維持するものだ」と悟って「紅娘手記」を書き始め、老人介護と同時に若者たちの婚姻にも関心を払っている。 ナイチンゲールの道を歩む 現在、中国の高齢者数は一億二千六百万人に達し、年間上昇率は3%に上る。また中国人の平均寿命は78歳。60歳以降の18年間にいたっては、老人の疾病平均年数は13年だ。老人と子どもを同時に扶養しなければならない青年、中年世代の負担はきわめて重くなっている。家庭介護が行き届かなくなり、社会福祉サービスシステムがまだ不完全な中にあって、司さんの活動は特に重視されるものだ。しかし一方、彼女のような人がいない団地で、特に施設不足で住民委員会の組織がなかったり、新しい団地で環境に慣れず、近所とのコミュニケーションもとれず、介護者がいないような「空巣」家庭の場合は、さらに難しい局面に陥っている。家庭から社会へ介護態勢を広げ、その態勢を一体化してこそ、老人たちの生活が保障されるのだ。 70歳になった司さんも老い衰えた。自転車にはもう乗れず、階段の上り下りも難しくなったが、12人の「空巣」家庭の老人が彼女を頼りにしている。70歳の老女が80歳の老人の介護をする時には、触れあう手と手が震えるといった状況だ。 48年、当時18歳だった司さんは「自分の選んだ仕事に一生を捧げる。ナイチンゲールの道を歩もう」と決心した。98年、彼女は『走南丁格爾的路』(ナイチンゲールの道を歩む)という本を執筆。昨年は、北京市東城区衛生学校の看護専攻の卒業生に帽章を授けた。そして両手にロウソクを持つ若者たちに、彼女がこれまで片時も忘れることのなかったナイチンゲールの言葉を伝えた。「看護婦は病人に同情する心と、労働を愛する両手を持たなければならない」と。(2001年3月号より)
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