大都市から逃げる若者たち 厳しさを増す地方出身者の生存環境文 人民日報北京、上海、広州などの一級ランク都市での数年にわたる奮闘後、多くの若者たちが新たに第二、第三ランクの地方都市における発展を選択するようになっており、それは「北上広からの逃避」と呼ばれている。このような若者たちは、膨大、といえるほどではないが、長年にわたる「北上広への奔流」と比べると、鮮やかな対比をみせている。
「逃避」であれ、「奔流」であれ、それは若者だけの選択なのだろうか?このような現象の背後には、経済、社会などの要素があるのだろうか?記者は調査にとりかかった。
(3) やっていけない、ただ逃げるのみ 求職者は一級ランクの大都会の「押し出し」をみるべき
場面
32歳の苗新慶さんは、深圳での10年の奮闘ののち、妻と子供をつれ、内モンゴルのフフホトに帰った。
「まさに逃避で、まったくやっていけず、ただ逃げるのみでした。」苗さんは、10年前の大学卒業時に二つの選択があった。一つは内モンゴルの某県の民政局で公務員となること、それは月給700元だった。もう一つは、深圳のある家具会社でセールスを担当、それは月給1600元だった。「当時は、700元はほんとうに少なすぎると思いました。もし1000元だったら、おとなしく公務員をやっていたでしょう」。また当時、苗さんの頭のなかでは、深圳はチャンスにあふれた土地だった。
けれど、深圳での最初の仕事は、あまりうまくいかず、つねに目標がクリアできなかった。三ヶ月も基本給をもらったのち、自分でも恥ずかしくなり、自ら仕事をやめて別の仕事に転職した。「あとは、転職を繰り返し、自分はセールスなど個人的能力のリクエストが比較的高い職業にはまったく向かないことが分かったのです。けれど、管理もまた社長と深いつきあいができなければ、いいポジションには就けない」。仕事を10年経て、苗さんの給料は、もっとも良い時で5000元前後だったが安定せず、同時期、深圳の不動産価格は万にものぼっていた。すでに結婚し、子供もいた彼は、都会の端の古い家に暮らし、絶え間なく上昇していく家賃と子供のミルク代に頭を抱えていた。「自分の能力はとても平凡で、深圳では、やっていけず、あとすこし歳をとったら安定した仕事にさえも就けなくなる」
去年の旧正月に内モンゴルの故郷に戻ると、深圳を離れたい気持ちがわいてきた。「同級生は、ほとんどみな月給が4000元以上になっており、退職した教師である母親の退職金さえも3000元近くになっていた」
専門家の分析
許召元研究員は、「北上広からの逃避」は、実際のところ、都市の「押し出し」の影響である、とみる。
今年4月、零点研究コンサルタント集団による「中国都市と農民住民の流動意思調査」の結果は、もし自由に居住地を選べるなら、半数近くの都市住民は北京、上海、広州を最初の選択とした。「ある一時期、一級ランクの大都会には、大量の生産資料、社会資源が集まり、絶対的な発展の優勢があり、人材が集まる効果があった。けれど同時に、社会の競争の激化は、「押し出し」現象を生み出す。許研究員は語る。
許研究員は、ある面では、若者はこの「押し出し」を正視すべきであり、大都会は想像のなかほど良いものでなく、もし大都会に留まり、なんとしても発展しようとするなら、競争の激烈さと残酷さに対し、心の準備をすべきであり、同時に、すべての機会をとらえ、自分の知識と技能を磨き、自分の競争力を上昇させなければならない。また、一方、都市の管理者は、都市の寛容性について多くの文章を書き、高い素質と技能を備えた人材に発展の環境を創造するほか、低学歴、低技能の若者にも生存条件を提供すべきで、都市の発展は多様な人材を必要とする。
任教授は、「押し出し」は、社会の競争の激烈さを示すだけでなく、一級ランクの都市が人材を呼び寄せるにあたり、まだ進歩すべき空間があることを示している、と語る。さらに一歩、創業環境を良好なものにし、人材を呼ぶ。さらに高レベルで、知力資源のスムーズな流動と循環を実現する。長江デルタ地帯経済圏を例とするなら、区域を越えた研究センターなどの方式で、一級ランクの上海の人材が他都市にいって仕事をするにあたり便宜をはかり、また蘇州などの都市の人材にも上海で随時、仕事をさせ、各レベル、各層の人材がどこでも、いつでも最大限の能力を発揮できるようにする。
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