農村で広がるネットショップ 貧しさから脱け出した農民

2017-11-01 09:53:47

 

 

高原=文  馮進=写真

 

「淘宝村」と呼ばれる村を知っているだろうか。「淘宝網(タオバオ)」という日本の楽天市場に相当するウェブサイトでネットショップを経営している世帯が10%を超えている村がある。村全体の通販総売り上げが年間1000万元(約18000万円)を超えた村は「淘宝村」と呼ばれるようになる。昨年の統計によると、中国には780もの「淘宝村」があり、前年比で268%も増加したという。このようにネットショップを経営することで貧困からの脱却に成功している農村が増えている。この方法は農民が豊かな生活を営むための新たな選択肢の一つとなっている。

 

始めは右に倣った通販経営

 

山東省菏澤市曹県の閻店楼鎮にある楊双廟村に住む楊玉祥さん(38)は、朝早くにパソコンを立ち上げた。そして、受注商品の発送準備をしながら、チャットを通じて顧客の質問に答えるといういつもの作業を始めた。玉祥さんはネットショップを経営する前は、ネットで買い物をしたことすらなかった。同じ村に住む知り合いの楊玉永さんがステージ衣装のネットショップ経営で儲けたと聞き、玉永さんに倣ってネットショップ経営をやり始めたのだ。現在では、十数ものネットショップを経営するまでになった。最初は単に販売だけをしていたが、わずか3年の間に付近の郷、鎮から四十数人を雇い、生産から卸売り、小売りまでの一貫体制を築いた。今では「親(親しい人に対する呼びかけの言葉)」といったネット用語も使いこなすようになったという。時間のある時には仲間たちとITやDT(データテクノロジー)、ビッグデータ、業界統合などの話をしたりもする。今となってはこの玉祥さんが3年前までは都市部の建設工事現場で働く出稼ぎ労働者だったと想像できる人は誰もいないだろう。 

 

楊玉永さんはこの村で最も早くネットショップ経営を始めた人だ。1998年からネットショップ経営を始める2009年まで、写真スタジオで使われる撮影用のバックパネルを電動三輪車に載せて、一人で山東省から出発し山西省まで売り歩いたという。こうした中で撮影用の貸衣装が売れ筋だと気づいた玉永さんはそれを取り扱うようになった。人々の文化的な生活の充実に伴い、ステージ衣装への需要はますます拡大していった。例えば、学校での舞台発表や企業の忘年会、高齢者の合唱団、ダンスグループ、さらには映画やドラマの撮影まで注文は大量にある。しかも、このような衣装の品質に対する要求はそれほど高くないため、この市場への参入は比較的簡単だ。玉永さんはこのビジネスチャンスを敏感に感じ取った。また、多くの人がネットショッピングのとりことなっている心理状態をつかみ、ステージ衣装のネットショップを開設することにした。玉永さんの今年の年間収入は500万元(約9767万円)を上回った。すでに自らのブランドを立ち上げ、その商標登録も済ませてあるという。 

 

この玉永さんの影響で、270世帯以上ある同村の50世帯余りがネットショップを始めた。そして、一昨年にはネットを通して情報交換を行うための「淘宝協会」を設立させた。村内でも玉永さんや玉祥さんのように生産から販売までの一貫体制を整えている村民はさすがに少数派だ。ほとんどの人はこの2人から商品を仕入れ、販売している。しかし、それでも収入は少なくない。玉祥さんの兄弟は3人ともネットショップを開設している。昨年には60代の父親もネットショップ経営を少しの間試みた。そして、3、4万元(約5573万円)を儲け、非常に喜んでいたという。

 

村全体にもたらす経済効果

 

ネットショップの経営は経営者自身の生活を豊かにするだけではなく、村全体の発展と収入の向上にもつながっている。例えば、玉祥さん1人のネットショップだけでも、40人以上の雇用問題を解決したことになる。以前は農閑期になるとトランプやマージャンをしたりしているだけの村民だったが、今では進んで玉祥さんの工場に行って衣装の加工を手伝い、1カ月2000~3000元(約3万6000~5万4000円)の収入を得ている。生地裁断の技術を身につければ1カ月6000元(約10万9000円)以上も手にすることができるため、都市部のサラリーマンの収入にも引けをとらない。また、ネットショップが増えると、当然、出荷量が増えてくる。すると、各宅配業者が鎮内にネットワークを設け、約10分で村へ荷物を引き取りに来るシステムを構築した。宅配便などはなく、郵便局しかなかったかつての状況は完全に様変わりした。  

 

日に日に盛んになる村のネットショップ事業は、出稼ぎに行った多くの若者を引きつけ、帰郷、起業させた。その若者の多くは大学を卒業している。同村出身の楊濤さんは山東省の済南市にある大学で建築工学を学んだ。卒業後は都市部で2年間働いたが、結局は田舎に戻って刺しゅう工場の開設に踏み切った。現在、コンピューター制御の自動刺しゅうミシン4台とレーザー切断機1台が彼と彼の妻、若い2人の夢を支えている。さらには濤さんのクラスメート2人が村のネットショップは将来性があると聞き、村で一緒に事業を展開している。 

 

地元でネットショップを経営する農民が増えるに連れ、貧困からの脱却を実現させた成功例として地元政府も積極的に普及させていった。同村が位置する閻店楼鎮の鎮政府は通称「淘宝弁」という電子商取引事務所をわざわざ開設した。この事務所では、村の経済を担当しているスタッフがネットショップを開設する農民のために事業者登録の手続きを助けている。また、相談窓口も開設している。その他にも、専用経費を出し専門家を招いて無料で参加できる講座を開き、ネットショップの開設に必要なコンピュータースキルやマーケティングスキルを農民に指導している。

 

大手サイトも農村を後押し

 

楊双廟村がある曹県は農業が盛んな県だ。しかし、特色ある農産物を売らずにステージ衣装だけを販売しているのはなぜなのだろうか。玉祥さんによると、村民たちは教養が高くないため、市場についてもあまり理解していない。誰かがステージ衣装で儲けていることに目をつけ、それに倣ってやり始める村民が増えたため、結果的に集団としての効果が生じただけだという。しかし今となっては、中国でステージ衣装といえば山東省菏澤市といわれるほどになった。オフラインでの取引額はネットショップでの収入を上回るようになっているという。 

 

玉祥さんは今後、より多くのデザインスタジオができることで、デザイナーが鎮内に集まり、新作を作成してくれることを望んでいる。個人的には、2人の息子に一生懸命に勉強をしてほしいという。玉祥さん自身は中学校を卒業していなくても現在は商売がうまくいっている。しかし、息子たちには早々と商売を始めさせる気はなく、大学に進学し、学べるだけ学んでほしいそうだ。 

 

都市部の電子商取引業の競争が激化している一方、農村部にはまだまだ大きな潜在力がある。玉永さんと玉祥さんのように農村で生活する人間が電子商取引業の仲間入りを果たし、政府の支援の下、同郷の人々とネットショップを経営して豊かな生活を築き上げる人々が増えてきている。また、「淘宝網」や「京東商城」などの大手ショッピングサイトが積極的に農村部へ進出している。淘宝網の「農村淘宝サービスステーション」、京東商城の「京東ヘルプ&サービスステーション」ではそれぞれ新しい業務分野の開拓に取り組んでいる。 

 

最近、閻店楼鎮呂荘村で新しく開業した「農村淘宝サービスステーション」は、周辺の村民が手軽にネットショッピングをできるようにしたり、商品の変更や返品の代行サービスを行ったりしている。今後は、自家制の農産物、工芸品を全国各地に販売できるようにもするという。このサービスステーションの責任者は「80後」(1980年代生まれ)の男性だ。彼は何回もの面接を通過して、ようやくこの経営資格を獲得し、今は馬雲さん(淘宝網創始者)のパートナーになったと誇らしげに言う。その言葉は明るい未来への期待にあふれている。

 

人民中国インターネット版

 

関連文章