毛沢東思想が確立 革命の聖地 延安

   金田直次郎=文 沈暁寧=文写真 

     共産党が指導した革命は、中国の大地のそこかしこに多くの史跡を残した。革命の史跡を訪ね中国の革命史を実地に学ぶ旅は「紅色之旅」と呼ばれる。中国共産党誕生の地・上海、中国労農紅軍が最初の革命根拠地を築いた井崗山、毛沢東が軍事指導権を確立するきっかけとなった重要会議が開かれた遵義、革命の聖地・延安、革命勝利の前夜に党中央が置かれた西柏坡、新中国成立を前に党中央指導者の宿舎にあてられた北京・香山の建築群。6ヵ所の史跡を巡ってみたい。  

  ■ゴールにしてスタート地点

     約25000華里(12500)の長征を終え、中央紅軍(第一方面軍)が陝北の呉起鎮に到着したのは193510月のこと。残りの部隊も翌3610月までには合流した。

  当初八、九万を数えた兵力は二、三万に激減したものの、「北上抗日」の新たな使命を果たした長征の帰着点陝北を毛沢東は「長征のゴールであり、また抗日戦争のスタート地点でもある」と総括した。

  

     「われわれのこのような長征がかつて歴史上にあっただろうか。12カ月のあいだ、空ではまいにち何十機という飛行機が偵察と爆撃をおこない、地上では何十万という大軍が包囲し、追撃し、阻止し、遮断し、途上ではことばでいいつくせない困難と険害に出あったにもかかわらず、われわれはめいめいの二本の足を動かして二万余華里を踏破し、11の省を縦横断した」(『日本帝国主義に反対する戦術について』)と毛沢東は語り、長征は「宣言書であり、宣伝隊であり、種まき機である」と強調、11の省にまいた種は「芽をだし、葉をのばし、花をさかせ、実をむすび、やがては収穫されることになる」と革命の希望を中国人民に託した。

     以来、陝北を後にするまでの13年間、党中央(中国共産党中央委員会)は延安に置かれた。193612月に起こった西安事変をきっかけに成立した第二次国共合作を踏まえ、労農紅軍は八路軍、新四軍に改組され、抗日戦争の前線に出撃する。延安は全民族抗日の拠点に、また抗日戦勝利後は解放戦争指導の中心地になった。

  指導者の住まい、党軍の諸機関、「中央大礼堂」や「陝甘寧辺区参議会礼堂」(延安大礼堂)、中央党学校、抗日軍政大学、魯迅芸術文学院など数々の史跡が大切に保存されている。あるいは窰洞(横穴式住居)として、あるいはレンガ造りの簡素な建物として残る史跡群は、今も延安の13年間がどのようなものであったのかを語りかけている。

  

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