新中国を育んだ中南海
新民主主義革命が着々と勝利を収めるにつれ、新中国誕生の時期も刻々と近づいてきた。1949年6月11日、新政治協商会議準備会の予備会議が中南海の勤政殿で行われ、準備会の参加団体、人数、人選を討論、可決した。そして、党内外人士と共同で建国の大計を協議するため、毛沢東、周恩来らの指導者は双清別荘から北平の中心部にある中南海へ引っ越した。
ここで、毛沢東は偉大な歴史的意義のある著作『人民民主主義独裁について』を書き上げ、中国の人民民主主義独裁という国家政権の理論基礎を定めたほか、周恩来は勤政殿で一週間を費やして多くの資料を調べ、新中国の臨時憲法にあたる『中国人民政治協商会議共同綱領』を直筆で起草した。
9月21日、新中国の建設計画を立てる中国人民政治協商会議第一回全体会議が中南海の懐仁堂で盛大に開かれ、中国共産党、各民主政党、各地区、各民族、各団体、人民解放軍、海外華僑の代表662人が出席した。

毛沢東は開幕式で「われわれの仕事は人類の歴史に書きこまれ、それは人類総数の4分の1を占める中国人がこのときから立ちあがったことをしめすであろう」「われわれの民族は、もはや、人から侮辱されるような民族ではなくなった。われわれはすでに立ちあがったのである。われわれの革命はすでに全世界の広範な人民の共感と歓呼を博しており、われわれの友はあまねく全世界にいる」と挨拶した。代表たちからの雷鳴のような長い拍手のうち、100年にわたる中国人民の屈辱の歴史は終止符を打った。
10日間にわたる会議の中で、代表たちは人民が主人公となった新中国について一連の決議を熱く討論し、『中国人民政治協商会議共同綱領』を採択した。また、会議は中華人民共和国の首都を北平に定め、北平を北京に改称すること、世界共通の西暦を公式の紀年法とすること、『義勇軍行進曲』を国歌とすること、五星紅旗を中華人民共和国旗とすることを決定し、毛沢東を中華人民共和国中央人民政府主席に、朱徳、劉少奇、宋慶齢、李済深、張瀾、高崗らの党内外人士を副主席に選出した。
1949年10月1日午後3時、首都北京の30万人もの民衆が天安門広場に集い、開国の大典が行われた。毛沢東は天安門の城楼の上で、重々しく「中華人民共和国中央人民政府の成立」を宣言するとともに、電動昇旗装置の電源ボタンを押した。新中国を象徴する初めての五星紅旗が上がった。
この時から、中国の歴史に新しい紀元が切り開かれた。新中国の成立を準備する会議が行われた中南海も中国共産党と政府の要人の官邸となった。