中国の解放と大衆の幸福を願った先駆者たち——早稲田大学留学組が歩んだ中国革命への道

 

 

早稲田大学

少し前、中国で「覚醒年代」というテレビドラマがヒットした。その出だしは、早稲田大学(以下早大)のキャンパス内の緑豊かな並木道で、中国人留学生がいかにして国を救うかについて激しく議論するというシーンだった。主人公の一人である李大釗が「保皇派」の主張に激しく反駁しているところにこっそりと現れたもう一人の主人公陳独秀が留学生の弁当を盗み食いする。両氏とも中国共産党設立の主要メンバーで、マルクス主義の偉大な伝道者だ。

こうした偉人のドラマが過去あまり作られてこなかったこと、人物を自然に描写したことで、多くの視聴者、特に若者に深い印象を残し、今年のヒット作となり、早大にも注目が集まった。中国で高い知名度を誇るこの大学は、実は中国共産党の誕生と大きく関係しているということを、多くの中国人に知らしめた。

そこで東京支局の記者は早大を訪ね、国際部東アジア部門長の江正殷さんの歓待を受けた。取材を通し、李大釗や陳独秀、さらに陳望道や彭湃ら先人の足跡をたどるとともに、大衆の解放のために身を投じ、人々の幸福を得ることで真理を追求するという中国共産党の主旨を再確認することで、そこに携わる人々の「初心」を感じることができた。

 

李大釗の学生証と授業料納付証

早稲田大学歴史館は、李大釗の授業料納付証を今も残していた。さらに早大の中国人同窓会が寄贈した学生証には、李の氏名、住所、出身地、入学に関する情報がはっきりと記されていた。1913年の冬、李大釗は天津の北洋法政学堂を卒業した後、日本に留学し、東京のYMCAに寄宿、翌149月に早大の政治経済学部に入学した。「私も『覚醒年代』を見ましたが、初回から早稲田が出てきたのはとてもうれしかったですね。陳独秀の記録はほとんど残されていませんが、劇中の情景は架空のものでは決してないはずです」と江さんは語る。

 

 

 陳望道が翻訳した『共産党宣言』は、中国初の中国語完全訳となった

 

江さんはまた、『不忘初心 継続前進』というドキュメンタリーの第1回に収録されている、習近平総書記が『復興之路』という大型展示を見学した際のことを語ってくれた。

「家で本を書くのに苦心する息子に、母が『ちまきを食べるなら黒砂糖の糖水を飲みなさい』と外から叫んだところ、息子は『飲んだよ。とても甘かった』と答えました。その息子の様子を見に母が中に入ったところ、作業に没頭する息子は黒糖水とインクを間違えたらしく、口の周りは黒いインクだらけでした。間違ってインクを飲んだことにも気付かず、甘いと言ったこの息子が陳望道で、まさに『共産党宣言』の翻訳に格闘している最中の出来事でした。このエピソードについて習総書記は、『真理の味はとても甘い』と語ったのです」。1915年、陳望道は日本に留学。彼の学生証は今も早大に保存されているが、今まで公開されたことはない。陳望道と陳独秀は20年に上海でマルクス主義研究会と上海共産主義小組を組織。陳望道が翻訳し、中国初の中国語全訳となった『共産党宣言』も出版された。

毛沢東に「農民運動の王」と称された農民運動指導者の彭湃は、早大で学んだ初期の中国人留学生の中では数少ない、学業を完全に終えて帰国した一人だった。19179月に早大生による社会運動団体の建設者同盟に加入した彭は、間もなく労働者同情会にも参加。2010月には東京で赤心社を組織し、215月の帰国後はほどなくして中国社会主義青年団に加入した。

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