習主席と母・斉心氏、共産党員親子の約束

 

習近平氏と母親の斉心氏

習近平国家主席の母親斉心氏は、抗日戦争の初期に革命運動に身を投じ、中国共産党に入党しました。その後、延安で八路軍の女性兵士となりました。斉氏は母親として人柄と道徳の教育を重んじ、自らの言動によって習近平氏の成長を教え導きました。

自身の人生を振り返った斉氏は、二つの歳月に感謝していると語りました。一つは抗日根拠地で過ごした2年間。戦火の試練に耐えて、革命楽観主義の精神を身に付け、革命闘争の確固たる意志を固め、共産主義の人生観を樹立したということです。もう一つは陝西甘粛寧夏の農村で働いた8年間でした。地元の農民や労働者たちと深い友情を育んだからです。

 

2000年夏、斉心氏が陝西省郝家橋村へ戻って村民たちを見舞った時の様子

 

一方の習近平氏は19691月、15歳の時に知識青年の一員として陝西省北部の梁家河へ赴き、7年間の青春時代を送りました。梁家河で過ごした日々を振り返る文章の中で、習近平氏は「15歳の私はあの黄色い土地へやってきた時、迷いに迷っていたが、22歳であの土地と別れた時には、はっきりとした人生の目標を持ち、自信に溢れていた」と記しました。

梁家河での歳月、習近平氏は8回も共産主義青年団への入団申請を書き、10回も中国共産党への入党申請を提出しました。そして19741月、晴れて正式に中国共産党の一員となりました。その年、彼は20歳でした。

知識青年として梁家河で暮らした日々、習近平氏は母親の斉心氏が手作りしたソーイングセットを大切に持ち続けていました。その上には「娘的心(母の心)」という三文字が刺繍され、親子の深い絆を物語っていました。

 

2021425日、習主席による広西チワン族自治区桂林市毛竹山村の視察

 

党と国、人民に何のためらいもなく忠誠を貫くこと――これは習近平氏と母との約束であり、清廉な人として勤勉に働き、誠実に人民に奉仕すること――これも親子の約束です。

2001年の春節(旧正月)、帰省できずに職場の番をしていた習近平氏は母親に電話をかけて新年の挨拶を伝えました。すると、母親から「仕事に励むことは、父さんと母さんへの一番の親孝行で、家族への責任、自分への責任でもあるよ。すべては一致しているんだ」と励まされたと言います。

「私は無私に働き、人民の期待に背かない」――そうして献身的に仕事に励むことが、習主席の日常です。人民の信頼と期待を背負う習主席は、一国のリーダーであり、奮闘者でもあります。人民を至上とし、共産党員としての無私を保ち、献身的に奮闘し努力することは、習近平氏と母との約束でもあるのです。

 

「中国国際放送局日本語版」202159

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