―中日国交正常化から改革開放まで― バンカー・大久保勲さんが見た中国の発展と2人の総理(上)

文=大久保勲

中日国交正常化以前、東京から北京に行くには香港で 入国しなければならず、片道3日かかっていたと、当時を知る人々は口を揃えて言う。中国に渡航できる日本人が非常に少なかった当時のこと、駐在して仕事をする日本人はごくごくわずかだった。さらに通信手段の発展が遅れていた当時は情報伝達の手段も限られ、中国に常駐してその発展と大きな変化を身をもって体験した人々の証言は、今となっては非常に貴重なものとなっている。

かつて東京銀行(現三菱UFJ銀行)の中国総代表を務めた大久保勲さんも、そんな貴重な経験を持つ一人だ。大久保さんは30代半ばで北京駐在を命ぜられ、中日国交正常化という歴史的瞬間を目の当たりにした。そして1980年代から90年代にかけて中国事務所の総代表として改革開放の実施や鄧小平の「南方談話」の発表による変化を体験した。つまり大久保さんは、中国共産党が中日間の良好な友好関係のために力を尽くし、中日関係の回復と発展に努め、国民を率いて経済発展を遂げてきた姿を見守り続けた、まさに奇跡的な証人と言える。

中国共産党創立100周年に際し、東京支局は大久保さんに寄稿を依頼。バンカーの目から見た中国の発展の軌跡と2人の総理にまつわるエピソードを記してもらった。

 

私は19711月から741月まで、北京の日本日中備忘録貿易弁事処に勤務した。北京で勤務した3年の間、周恩来総理に何度もお会いする機会のあったことを、心から有難く思っている。また、周総理を心から敬慕しておられた岡崎嘉平太先生の下で働くことができたことは、本当に幸いなことだった。

周総理に何度かお目にかかった中で、特に3回が深い思い出となり、昨日のことのように鮮明に思い出される。

 

 

1973年、日中備忘録貿易弁事処の同僚と共に北京飯店の前で(右から2人目が大久保さん)(写真提供=大久保勲)

 

1回目は711026日のことだ。前日、国連総会で中国の国連復帰が決まった。その夜、北京飯店西楼の大宴会場で、イラン大使館によるナショナルデーのパーティーが開かれた。周総理らが会場に入ると、どっとどよめきが起きた。姫鵬飛外交部長代理は「中国の国連復帰に協力してくれた国々に感謝する」と述べ、周総理のほか、姫鵬飛、喬冠華、韓念竜ら外交部幹部が、各テーブルを回った。私は一人の日本人として、たいへん複雑な気持ちで周総理をお待ちした。北京のテレビ局のライトがまぶしく照らす中で、周総理としっかりと握手し、「日本日中備忘録貿易弁事処の者です」と自己紹介した。周総理は深くうなずいておられた。

 

 

 

1970年代の北京空港(写真提供=大久保勲)

 

2回目は同年1220日のことだ。この日の夜、周総理は岡崎先生を団長とする備忘録貿易代表団と会見し、私たち北京事務所員も参加した。ワシントンのスミソニアン博物館で開かれた十カ国蔵相会議で、多角的通貨調整が行われ、1ドル=308円が決定した直後のことだった。一人一人周総理と握手をし、記念撮影を済ませ、着席した。当時の私はまだ30代半ばの若者だったので、最後部の席に座った。

 

 

 

19711220日、岡崎嘉平太団長をはじめとする備忘録貿易代表団と会見を行う周恩来総理(写真提供=大久保勲)

 

会見は午後6時少し前から8時過ぎまで行われた。中国側は周総理のほか、李先念副総理、郭沫若先生、中国側備忘録貿易関係者らが出席していた。会見が始まりしばらくたった時、周総理が「この中に銀行の人がいますね」と言われた。私はそっと手をあげた。すると周総理が直ちに「そんな後ろにいないで、もっと前にいらっしゃい」と言われたので、前に進み出た。

この時、周総理は「中国は対外貿易に依存する度合いは低いが、国際通貨情勢の変化で影響を受ける。就いては、日本円と人民元で直接決済をしてはどうか」と提案された。この会見の時、周総理は「日本はいつデノミネーションをやるか」「日本の国債発行高はいくらあるか」などの質問もされた。また、「日本円と人民元を1:1にしたら大変便利と思う」などとも発言された。

私は緊張しながら、周総理からのご質問に答えた。周総理が私のような銀行員の若者が会見に参加することまで事前に承知しておられたことに大変驚き、若者の話もきちんと聞いてくださることに、心から感銘を受けた。

当時は日中国交正常化がいつ実現するか分からない時期だったが、周総理が中日国交正常化を見据えて、日本との関係を大変重視した発言をされたことを、たいへん有難く思った。

 

 

1970年代の北京・王府井大街(写真提供=大久保勲)

 

私は当時、旧東京銀行(現三菱UFJ銀行)の職員であり、主として弱い英ポンドで決済されていた日中間の貿易決済問題解決のために中国銀行と連絡を取り合っていたので、周総理のご提案は、願ってもないたいへん有難いことだった。この問題は、日中国交正常化の1カ月前の1972年8月に、中国銀行と東京銀行との間で合意に達した。

 

 

 

1972928日、中日国交正常化実現に際し人民大会堂で行われた田中角栄元総理の答礼宴で(写真提供=大久保勲)

 

3回目は、日中国交正常化が実現した 1972928日夜の人民大会堂で行われた、田中角栄総理の答礼宴会でのことだ。岡崎先生も私もこの宴会に出席していた。感銘を受けた周総理のスピーチから一カ所だけ記しておこう。

「この歴史的な時点に、私は中国人民を代表して、長期にわたり中日友好の促進と中日国交正常化の実現のために貢献され、はては自己の命を犠牲にすることさえ惜しまれなかった日本各界の友人に心からの感謝と敬意を表したいと思います。中日両国は社会制度の根本的に異なる国です。しかし、われわれ双方の実り豊かな会談が示しているように、双方が確信を持ちさえすれば、両国間の問題は、平等な話し合いを通じて解決できるのです」

新中国成立から20余年にわたり、日中両国間には不正常な状態が存在していた。多くの先人たちが、大局を踏まえて隣国中国との協力の必要性を説き、日中国交正常化の実現のために、困難な中で努力を続けた。その一人であった岡崎先生を、周総理は中日国交正常化直前に北京に迎えて小さな宴会を催し、「水を飲む時には、井戸を掘った人を忘れない。岡崎先生も井戸を掘った一人です」と話された。

50年近く前の当時を思い出し、高い次元から両国の子々孫々にわたる友好協力関係を願った周総理やわが先人たちのご遺志に背かないよう、日中関係が順調に発展していくことを心から願わずにはいられない。

 

人民中国インターネット版 202175

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