Ⅰ 新民主主義革命の偉大な勝利をかち取る
新民主主義革命の時期において、党が直面していた主要任務は、帝国主義、封建主義、官僚資本主義に反対し、民族の独立と人民の解放をかち取り、中華民族の偉大な復興を実現するために基礎となる社会的条件をつくり出すことであった。
世界の古き偉大な民族である中華民族は、5000年以上の長きにわたる輝かしい文明を創出し、人類文明の進歩に不滅の貢献をした。1840年のアヘン戦争以降、西側列強の侵入と封建的支配の腐敗によって、中国は次第に半植民地・半封建社会となり、国が恥辱を、人民が苦難を、文明が埋没をこうむり、中華民族はかつてない災禍に見舞われた。民族を存亡の危機から救うため、中国人民は奮起して抵抗し、愛国の志士たちが奔走して喊声をあげ、称賛と感動の戦いを進めた。太平天国運動、洋務運動、戊戌変法、義和団運動が相次いで起こり、さまざまな救国策が代わる代わるうち出されたが、いずれも失敗に終わった。孫文先生の指導する辛亥革命は中国を支配していた数千年にわたる専制君主制度を覆したが、中国の半植民地・半封建社会の性格と中国人民の悲惨な運命を変えることはできなかった。そのため、中国には救国運動を導く新たな思想、革命の力を結束させる新たな組織が早急に求められたのである。
十月革命の砲声がとどろき、中国にマルクス・レーニン主義が送り届けられた。五・四運動の影響の下に、中国でマルクス主義はいっそう広がっていった。中国人民と中華民族が偉大な目覚めを迎え、マルクス・レーニン主義と中国の労働運動がしっかりと結びつく中で、1921年7月、中国共産党がついに誕生した。中国に共産党が生まれたこと――これは、時代を画する大きな出来事であった。まさにこの時から、中国革命の様相が一新したのである。
党は、近代中国の主な社会矛盾が帝国主義と中華民族との間の矛盾、封建主義と人民大衆との間の矛盾であると深く認識した。そのため、中華民族の偉大な復興を実現するには、反帝・反封建闘争を行う必要があった。
結党の初期と大革命の時期において、党は民主主義革命綱領を制定し、労働運動や青年運動、農民運動、婦人運動を起こし、国民党の改組と国民革命軍の創設を推進し、それを支援するとともに、全国的な反帝・反封建の偉大な闘争を指導して大革命の高まりをもり上げた。1927年、国民党内の反動集団が革命に反旗を翻し、共産党員と革命的人民を虐殺した、党内では陳独秀に代表される右翼的思想が右翼日和見主義の誤りへと転じ、さらに党の指導部門において支配的地位を占めたことで、党と人民が効果的な抵抗を組織することができず、大革命は強大な敵の不意打ちの前で手痛い敗北を喫した。
土地革命戦争期において、党は残酷な現実から、革命の武装化をしなければ武装した反革命勢力をうち負かすことはできず、中国革命の勝利をかち取ることができず、中国人民と中華民族の運命を変えることはできないため、武装した革命で武装した反革命に抵抗しなければならないということを認識した。国民党反動派に対する武力抵抗の火ぶたが切っておとされた南昌蜂起は、中国共産党による革命戦争への独立した指導、人民軍隊の創設、武力による政権奪取の面において第一歩を踏み出す象徴的な出来事であった。八・七会議では、土地革命と武装蜂起を断行するという方針が確定した。党の指導の下で秋収蜂起と広州蜂起およびその他の地域での蜂起が決行されたが、敵味方の力の差が甚だしく、これらの蜂起の多くは失敗に終わった。事実が証明しているように、当時の客観的な条件の下では、中国の共産主義者がまず中心都市を占領して革命の全国的勝利をかち取ったロシアの十月革命と同じような方途を取ることは不可能であり、中国の国情に適した革命の道を探り当てることが党の差し迫った課題となった。
活動の軸足を大都市への進攻から農村への進出に移すことは、中国革命の決定的意義をもつ新たな出発点となった。毛沢東同志が軍隊と人民を指導して井岡山で最初の農村革命根拠地をうち立て、党は人民を指導して「土豪の打倒・土地の再分配」運動を進めた。古田会議では「思想重視の党建設と政治主導の軍隊建設」の原則が確立された。その後、闘争の発展に伴って、党は中央革命根拠地と湘鄂西(湖南・湖北省西部)、海豊・陸豊、鄂豫皖(湖北・河南・安徽省)、瓊崖(海南島)、閩浙赣(福建・浙江・江西省)、湘鄂贛(湖南・湖北・江西省)、湘贛(湖南・江西省)、左江・右江、川陝(四川・陝西省)、陝甘(陝西・甘粛省)、湘鄂川黔(湖南・湖北・四川・貴州省)などの根拠地を樹立した。党は国民党支配下の白色地区においても、党とその他の革命組織を拡大し、大衆的革命闘争を繰り広げた。だが、党内での王明による「左」翼教条主義の誤った指導の下で、中央革命根拠地の五回目の反「包囲討伐」作戦が敗北したため、赤軍はやむなく戦略的移転を行い、苦難に満ちた壮絶な長征を経て陝西省北部に転戦した。「左」翼路線の誤りは革命根拠地と白色地区の革命勢力に極めて大きな損失をもたらした。
1935年1月、中央政治局は長征の途上、遵義会議を開き、党中央と赤軍における毛沢東同志の指導的地位が事実上確立した。その時初めて、毛沢東同志を主要な代表とするマルクス主義者の正しい路線の党中央における指導的地位が確立され、毛沢東同志を核心とする党の初代中央指導集団が形成され、党が独立自主して中国革命の実際問題を解決する新たな段階を迎えた。また、遵義会議は存亡の瀬戸際から党と赤軍、中国革命を救い、張国燾の分裂主義との戦いにうち勝ち、長征を首尾よくなし遂げ、中国革命の新たな局面を切り開く上で重要な役割を果たした。これは、党の歴史上、その存亡にかかわる転換点であった。
抗日戦争期において、九・一八事変後、中日民族対立が次第に国内の階級対立を超えて主要な矛盾となった。日本帝国主義がわが国に対する侵略に拍車をかけ、わが民族がかつてない重大な危機に立たされたこの決定的時点に際し、党は率先して武力抗戦の旗印を高く掲げ、抗日救国運動を広く展開するとともに、西安事変の平和的解決を促して、国共両党の二度目の合作と団結抗日を促進する面で大きな歴史的役割を果たした。七・七事変後、党は正しい抗日民族統一戦線政策を実行し、全面的抗戦路線を堅持し、持久戦という全般的な戦略方針と人民戦争に関する一連のまとまった戦略・戦術をうち出し、実行に移して、広大な敵後方戦場と抗日根拠地を切り開き、中国人民の抗日戦争が最後の勝利をかち取るまで八路軍と新四軍、東北抗日連合軍およびその他の人民抗日武装組織を指導して勇敢に戦い続け、全民族抗戦の柱石となった。これは近代以来、中国人民が外敵の侵入に対する抵抗で初めて完全勝利を収めた民族解放闘争であり、世界反ファシズム戦争の勝利の重要な構成部分でもあった。
解放戦争期において、国民党反動派が公然と全面的な内戦を引き起したのに対し、党は広範な軍隊と人民を指導して徐々に積極的防衛から戦略的進攻に転じ、遼瀋戦役、淮海戦役、平津戦役の三大戦役と長江渡河作戦に勝利したのちに、勢いよく中南、西北、西南地区へ進軍して、国民党反動派の800万人の部隊をせん滅したことで、国民党反動政府を打倒し、帝国主義・封建主義・官僚資本主義の三つの大きな山を覆した。党の指導する人民軍隊は人民の支持を得て、勇往邁進の英雄的気概をもって極悪非道の敵と命がけで戦い、新民主主義革命の勝利をかち取るために歴史的功績をうち立てた。
革命闘争の中で、毛沢東同志を主要な代表とする中国の共産主義者は、マルクス・レーニン主義の基本的原理を中国の具体的な実情と結びつけて、苦しい模索とそのために極めて大きな犠牲を払うことによって積み重ねた一連の独創的な経験に対し理論的な概括を行い、「農村によって都市を包囲し、武力によって政権を奪取する」という革命の正しい道を切り開き、毛沢東思想をうち立てて、新民主主義革命の勝利をかち取るために正しい方向を指し示した。
革命闘争の中で、党は「真理を堅持して理想を守り抜き、初心を貫いて使命を全うし、犠牲を恐れず勇敢に戦い、党に忠誠を尽くして人民の負托に応える」という偉大な建党精神を発揚して、党建設の偉大なプロジェクトを実施・推進し、とくに思想面からの党建設に重点をおくという原則をうち出した。また、民主集中制を堅持し、理論と実際との結合、大衆との緊密なつながり、批判と自己批判という三つの優れた作風を堅持し、統一戦線、武装闘争、党建設という「三つの宝」を手に入れ、「全国規模の、広い大衆性のある、思想的、政治的、組織的により強固な」マルクス主義政党の建設に努めた。党は1942年から全党で整風というマルクス主義の思想教育運動を進め、非常に大きな成果を収めた。党は「若干の歴史的問題に関する決議」を採択したことで、中国革命の基本問題について全党に一致した認識をもたらした。第7回党大会は新民主主義の新中国の成に向けた正しい路線・方針・政策を策定して、思想・政治・組織の面から全党にかつてみない統一と団結をもたらした。
人民を指導して28年にわたる血みどろの奮戦を繰り広げてきた党は、民主諸党派と無党派民主人士の積極的な協力を得て、1949年10月1日に中華人民共和国の成立を宣言した。これにより、民族の独立と人民の解放が実現し、旧中国の半植民地・半封建社会の歴史に完全に終止符が打たれ、広範な勤労人民がごく少数の搾取者に支配された歴史に完全に終止符が打たれ、旧中国の四分五裂の状態に完全に終止符が打たれ、列強が中国に押しつけた不平等条約と中国における帝国主義のすべての特権が完全に廃止された。また、中国で数千年に及ぶ封建的専制政治から人民民主主義への偉大な飛躍が実現したばかりでなく、世界の政治的構図も大きく変わり、全世界の被抑圧民族と被抑圧人民が解放をかち取る闘争も大きく勇気づけられた。
こうした実践によってはっきりと示されているように、中国共産党は歴史と人民によって選ばれたものであり、中国共産党の指導がなければ、民族の独立と人民の解放を実現するのは不可能であった。中国共産党と中国人民は勇ましい不屈の奮闘をもって、「中国人民はここから立ち上がったのだ。中華民族がもはやなすすべなく蹂躙され、散々に虐げられていた時代は永久に過ぎ去ったのだ。中国の発展の新紀元がこの時から切り開かれることになるのだ」と、世界に向けて厳かに宣言した。