Ⅲ 改革開放と社会主義現代化建設を進める
改革開放と社会主義現代化建設の新時期において、党が直面していた主要任務は、中国の社会主義を建設する正しい道を引き続き模索し、社会的生産力を解放し発展させ、人民が貧困から脱却し、できるだけ早く豊かになるようにし、中華民族の偉大な復興の実現に向けて新たな活力溢れる体制的保証と急速な発展の物質的条件をもたらすことであった。
党は、「文化大革命」の終結後、党と国家がどこへ向かうのかという重大な歴史的瀬戸際に、わが国にとって、改革開放の断行こそ唯一の活路であり、さもなければ、われわれの現代化と社会主義の事業はご破算になるに違いないと深く認識していた。1978年12月、党は11期3中全会を開催し、「階級闘争をカナメとする」方針を断固として廃止し、党と国家の活動の中心の戦略的転換をなし遂げ、改革開放と社会主義現代化建設の新時期をスタートさせ、新中国成立以来の党の歴史において深遠な意義をもつ偉大な転換を実現した。党は「文化大革命」を根本から否定する重要な政策決定を行った。40余年来、党はこの全会で確立した路線・方針・政策を終始変えることなく堅持している。
党の11期3中全会以降、鄧小平同志を主要な代表とする中国の共産主義者は、全党・全国各民族人民を団結させ率いて新中国成立以来の正反両面の経験を徹底的に総括し、社会主義とは何か、いかにして社会主義を建設するのかといった根本的な問題について、世界の社会主義の歴史的経験を参考にし、鄧小平理論をうち立てた。この時期において、党は思想を解放し、実事求是の態度をとり、党と国家の活動の中心を経済建設に移して改革開放を実行するという歴史的な政策決定を行った。また、社会主義の本質を鋭く解明し、社会主義初級段階の基本路線を確立し、「自らの道を歩み中国の特色ある社会主義を建設する」という方針を明確にうち出し、中国の特色ある社会主義を建設する上での一連の基本的な問題に科学的に答え、21世紀の半ばまでの期間を三段階に分けて社会主義現代化を基本的に実現するという発展戦略を確立し、中国の特色ある社会主義を成功裏に創始した。
党の13期4中全会以降、江沢民同志を主要な代表とする中国の共産主義者は、全党・全国各民族人民を団結させ率いて党の基本理論・基本路線を堅持し、社会主義とは何か、いかにして社会主義を建設するのか、どのような党を建設するのか、いかにして党を建設するのかについての認識を深化させ、「三つの代表」重要思想を形成した。この時期において、極めて複雑化している国内外の情勢や世界の社会主義の大きな挫折という厳しい試練を前にして、党は中国の特色ある社会主義を守り抜き、社会主義市場経済体制の改革目標と基本的枠組みを確立し、社会主義の初級段階における、公有制を主体として多種類の所有制経済をともに発展させるという基本的経済制度と、労働に応じた分配を主体として多様な分配形態が並存する分配制度を確立し、全面的な改革開放の新局面を切り開き、党建設の新たな偉大なプロジェクトを推し進め、中国の特色ある社会主義を成功裏に21世紀へと推し進めた。
第16回党大会以降、胡錦濤同志を主要な代表とする中国の共産主義者は、全党・全国各民族人民を団結させ率いて小康社会の全面的建設の過程で実践の革新、理論の革新、制度の革新を推し進め、新たな情勢下でどのような発展を実現するのか、どのように発展するのかといった重要な問題を深く認識した上で回答を出し、科学的発展観を形成した。また、重要な戦略的チャンスの時期をとらえ、全精力を傾けて建設に取り組み、一意専心して発展を推進し、人間本位と全面的で調和のとれた持続可能な発展の堅持を強調し、民生の保障と改善に力を入れ、社会の公平と正義を促し、党の執政能力建設と先進性建設を推進し、新たな情勢下で中国の特色ある社会主義を堅持し首尾よく発展させた。
改革開放を推進するために、党はマルクス主義の思想路線、政治路線、組織路線を新たにし、「二つのすべて」の誤った方針を徹底的に否定し、毛沢東同志の歴史的地位と科学的な体系としての毛沢東思想を正しく評価した。党は、わが国の主な社会矛盾が人民の日増しに増大する物質面・文化面の需要と遅れた社会的生産との矛盾であり、この主要な矛盾を解決するのがわれわれの中心的任務であることを明確にするとともに、小康社会の目標をうち出した。党は、各方面の活動において一連の正しい政策を回復・策定し、国民経済を立て直した。党は、思想、政治、組織などの分野での全面的な混乱収拾を指導して、大掛かりに冤罪・捏造・誤審を是正し、社会関係を整理した。「建国以来の党の若干の歴史的問題に関する決議」が採択されたことは、党の指導思想の混乱が成功裏に収拾されたことの象徴であった。
党は、改革開放と社会主義現代化建設の新局面を切り開くには、理論の革新によって事業の発展をリードしなければならないと深く認識した。鄧小平同志は、党なり、国家なり、民族なりがもしもすべて書物から始まり、思想が硬直し、迷信がはびこるようになれば、もはや前進することができなくなり、その生命力が枯渇し、党も国家も亡びてしまうに違いないと指摘した。党は、真理の基準をめぐる大掛かりな討論の展開を指導・支持し、新たな実践と時代的特徴に合わせてマルクス主義を堅持し発展させ、中国の特色ある社会主義建設に向けた発展の道筋や発展の段階、根本的任務、発展の原動力、発展戦略、政治的保証、祖国の統一、外交・国際戦略、指導勢力、頼るべき勢力などに関する一連の基本的な問題に科学的に答え、中国の特色ある社会主義理論体系を形成し、マルクス主義の中国化における新たな飛躍を実現した。
第12、第13、第14、第15、第16、第17回党大会は、国内外情勢の発展・変化に合わせ、わが国の発展の新たな要請に立脚して、終始一貫して改革開放と社会主義現代化建設の推進について全面的な計画を立て、さらに、改革・発展・安定にかかわる重要な活動を特別議題とし中央全会を数回にわたり開き、それについて検討し、配置を行った。わが国の改革は、農村の農家生産量連動請負責任制の実施において最初の突破を遂げてから、都市部の経済体制改革にシフトして、全面的な展開を推し進めた。また、社会主義市場経済の改革の方向性を定め、資源の配置における市場の基礎的役割をより大きくより広範に発揮し、基本的経済制度と分配制度を堅持しより完全なものにした。党は経済体制改革を断固として推し進めたと同時に、政治や文化、社会など各分野の体制改革を行い、党建設の制度改革を推進し、現代中国の国情に合致した、生気と活気に満ちた体制・仕組みを不断に形成して発展させた。党は、対外開放を基本国策として、深圳などの経済特区の開設、上海浦東の開発・開放、沿江・沿海・沿辺・沿線地区と内陸部中心都市の対外開放の推進から世界貿易機関(WTO)加盟まで不断に開放を進め、外資誘致から海外展開まで、国際・国内の二つの市場、二つの資源を十分に活用した。改革開放を持続的に推進した結果、わが国は高度集中型の計画経済体制から活気溢れる社会主義市場経済体制への、閉鎖・半閉鎖から全方位開放への歴史的転換が実現した。
社会主義現代化の推進を加速するために、党は人民を指導して経済建設・政治建設・文化建設・社会建設を進め、一連の大きな成果をあげた。党は、経済建設を中心とすること、発展こそ絶対的道理であることを堅持し、科学技術が第一の生産力であるとうち出して、科学・教育による国家振興戦略や持続可能な発展戦略、人材による国力増強戦略などの重大戦略を実施した。また、西部大開発を推し進め、東北地区など旧工業基地の振興をはかり、中部地区の興隆を促し、東部地区の先行発展を支援し、都市・農村間、地域間の調和発展を促進するとともに、国有企業の改革と発展を推進し、非公有制経済の発展を奨励・サポートし、経済発展パターンの転換を加速し、生態環境保護を強化し、経済の持続的かつ急速な発展を推し進め、総合国力が大きく向上した。党は、党の指導、人民主体、法に基づく国家統治の有機的統一を堅持し、社会主義民主政治を発展させ、社会主義政治文明を建設し、積極的かつ穏当に政治体制改革を推し進め、法に基づく国家統治と徳による国家統治の結合を堅持し、憲法を改正し、社会主義法治国家を建設し、中国の特色ある社会主義の法体系を形成し、人権を尊重・保障し、最も広範な愛国統一戦線を強固にし発展させた。党は、理想・信念教育を強化し、社会主義の核心的価値体系の構築を推進し、社会主義精神文明を建設し、社会主義先進文化を発展させ、社会主義文化の大発展・大繁栄を促した。党は、民生の改善を重点とする社会建設の推進を加速し、人民の生活を改善し、農業税を廃止し、教育・所得・医療・養老・住居の面で絶えず新たな進展をもたらし、社会の調和・安定を促した。党は、現代化・正規化した革命軍隊の整備という総目標をうち出し、情報化条件下での局地戦を想定して軍備・戦備を進め、中国の特色ある軍事変革を深化させ、中国の特色ある軍隊精鋭化の道を進んだ。
目まぐるしく変化する国際情勢を受け、党は、四つの基本原則(①社会主義の道、②プロレタリア独裁、即ち人民民主主義独裁、③中国共産党の指導、④マルクス・レーニン主義、毛沢東思想)を揺るぎなく堅持し、さまざまな妨害を断固として取り除き、わが国の改革・発展・安定の全局にかかわる一連のリスクや試練に冷静に対応した。1980年代末から90年代の初めにかけて、ソ連が解体し、東欧が激変した。海外の反共・反社会主義の敵対勢力の支援と扇動に加え、国内外情勢のあおりを受けて、1989年の春から夏への変わり目にわが国でゆゆしき政治的風波が起きた。党と政府は人民に依拠し、旗幟鮮明に動乱に反対し、社会主義の国家政権と人民の根本的利益を守り抜いた。党は人民を指導してアジア金融危機、国際金融危機などの経済危機に首尾よく対処し、2008年北京オリンピック・パラリンピックを成功裏に開催し、長江と嫩江・松花江の大洪水や汶川特大地震(四川大地震)などの自然災害にうち勝ち、新型肺炎(SARS)の流行を撃退し、党のリスク対応能力と難局対処能力をはっきりと示した。
党は、祖国統一という大業の達成を重要な歴史的任務とし、そのためにたゆまず努力し続けた。鄧小平同志は「一国二制度」という科学的構想を創造的にうち出し、平和的に祖国統一を実現する新たな道を切り開いた。困難に満ちた取り組みと闘争を経て、わが国の政府は相次いで香港とに対する主権の行使を回復し、中華民族の百年の屈辱を雪いだ。香港・澳門の祖国復帰以降、中央政府は憲法と特別行政区基本法に厳格に則って事を運び、香港・澳門の長期的な繁栄と安定を保った。党は台湾問題解決の大局をしっかりととらえ、「平和的統一、一国二制度」の基本方針を確立し、両岸の双方が一つの中国の原則を反映する「92コンセンサス」で一致を達成する取り組みを促し、両岸間の協議・交渉を推し進め、両岸間の全面的かつ直接・双方向の「三通(通信・通航・通商)」を実現し、両岸の政党間交流をスタートさせた。反国家分裂法を制定し、断固として「台湾独立」勢力を押さえて、祖国統一を促進し、いわゆる「二つの中国」や「一つの中国、一つの台湾」、「台湾独立」を企てるさまざまな画策を力強くうち破った。
党は時代の特徴と国際情勢を科学的に判断し、平和と発展が今日の時代のテーマであるとうち出した。党は、「世界平和の擁護と共同発展の促進」という外交政策の趣旨を堅持して、主要国との関係を見直し、周辺諸国との善隣友好関係を発展させ、広範な発展途上国との友好協力を深化させるとともに、国際・地域的課題解決の取り組みに積極的に参与し、全方位の重層的な対外関係の新たな枠組みをうち立てた。党は、世界の多極化と国際関係の民主化を積極的に促進し、経済のグローバル化が共同繁栄に有利な方向へ発展するよう推し進め、旗幟鮮明に覇権主義・強権政治に反対する一方で、広範な発展途上国の利益を断固として守り、公正で合理的な国際政治・経済新秩序の構築を後押しし、世界の恒久の平和と共同繁栄を促した。
党は、国を治めるにはまず党を治め、党を治めるには必ず厳しくすること、一意専心して党建設に取り組み、党建設の新たな偉大なプロジェクトをスタートさせ推し進めることを終始強調している。党は党内の政治生活に関する若干の準則を制定し、民主集中制を整備し、党内の民主を発揚し、党内の政治生活の正常化を実現した。また、段取りを追って整党活動を進め、党内に存在する思想の不純、気風の不純、組織の不純といった問題の解決に力を入れた。さらに、革命化・若年化・知識化・専門化の方針に従って幹部陣の形成を強化し、中青年層の幹部を大いに抜擢して幹部陣の新旧交代を促した。党の指導力・執政力のレベル向上と腐敗変質防止・リスク対応能力の向上という二つの大きな歴史的課題の解決を中心に据え、執政能力の建設と先進性の建設を主軸とし、党と人民大衆のつながりの強化、党の気風づくりの強化と改善、党の執政能力建設の強化などの重要事項について相次いで決定し、「学習、政治、正気を重んじる」教育、「三つの代表」重要思想の学習教育活動、共産党員の先進性を維持するための教育活動、科学的発展観の学習・実践活動など集中的な学習教育キャンペーンを前後して展開した。党は党風・廉潔政治建設と反腐敗闘争が党と国の存亡にかかわるものであるという認識をさらに高め、腐敗処罰・防止体系の整備を推し進めた。
改革開放40周年に際し、党中央は祝賀大会を盛大に開催し、習近平同志は重要講話の中で、40年間の改革開放で収めた偉大な成果と貴重な経験を全面的に総括し、改革開放は党の偉大な覚醒であり、中国人民と中華民族の発展史における偉大な革命であると強調し、改革開放を最後まで推し進めようという偉大な呼びかけを発した。改革開放と社会主義現代化建設は世界の注目を集めるほどの偉大な成果を収め、わが国は生産力で相対的に後れていた状況から経済規模で世界第2位に躍り出るという歴史的快挙を挙げ、衣食にさえ事欠いていた人民の生活が全般的小康に達してから全面的小康へと突き進むという歴史的飛躍を実現し、中華民族の「立ち上がる」から「豊かになる」への偉大な飛躍を促進した。
中国共産党と中国人民は勇ましい不屈の奮闘をもって、「改革開放は現代中国の前途と運命を決める重要な一手であり、中国の特色ある社会主義の道は中国を発展・繁栄へと導く正しい道であり、中国は大きな足取りで時代に追いついたのだ」と、世界に向けて厳かに宣言した。