ゴビ砂漠に木を植えた男 ワイン醸造で雇用創出を

 

賀蘭山の東の麓にあるブドウ栽培基地で成長具合を観察する陳さん(右)(新華社)

 

2007年、福建省の商人である陳徳啓さんは寧夏回族自治区に来て、15分という短時間でゴビ砂漠の10万ムー(1ムーは約0.07)もの土地の購入を決定した。現在、5万ムー以上の砂漠が開墾され、かつて荒れ果てていた砂漠には500万本もの木が植えられている。これを基に、陳さんはワイナリーを造り、3000人近くの生態移民(生態系を保護修復するために移住する住民)を就業させ、この地にオアシスを生み出すとともに、人々に貧困脱却し裕福になる希望を残した。

ゴビ砂漠産ワインの誕生

寧夏徳龍酒業有限公司の10万ムーもの有機ブドウ棚では、二十数人の作業者が次に収穫するブドウのための剪定作業を行っていた。「芽がある場所を剪定するときは、長さをそろえないと芽に十分に栄養が行き渡らない」と、陳さんは片手にブドウの枝を、もう片方の手にはさみを持ちながら、身ぶり手ぶりで作業者に剪定のやり方を教える。

「今はブドウ栽培のプロに見えても、11年前の私は門外漢でした。今でもできないことは探り探り勉強しています」。陳さんは今でも、初めて寧夏の永寧県閩寧鎮でブドウを植えたときのことを思い出すと気持ちが高ぶる。

07年、長年国外で商売をしていた陳さんは寧夏に来てビジネスチャンスを探していた。もともとは不動産開発か農業投資をするつもりだったが、どちらも商談が成立しなかった。その後、永寧県に来て、県長が開いた地図を見たときに彼の目に映ったのが大きな茶色い土地だった。

「ここは?」と指をさす陳さんに県長が答えた。「10万ムーもある荒れ地です。ご覧になりますか?」

砂漠にやって来た陳さんは地面を蹴り、四方を見回した。国が新たに建設したかんがい用水路がちょうどこの10万ムーもの荒れ地を通っており、はるか先まで続いている。その時、ビジネスセンスが鋭いといわれる福建省晋江生まれの陳さんの頭に大胆なアイデアが浮かんだ。「ここにブドウを植えよう!」

陳さんが見初めた賀蘭山の東の麓にある荒涼とした大地はフランスのボルドーと似た北緯に位置しており、1100の標高、土地に含まれる豊富なミネラル、風通しの良さ、長い日照時間、昼夜の大きな温度差など、さまざまなデータがフランスのボルドーに勝っていた。

 

閩寧鎮の今と昔(新華社)

 

ブドウよりまず植林

そこは恵まれた土地だったが、良質なブドウを栽培するために多大な努力が必要だった。ここでは激しい砂嵐が頻繁に発生し、陳さんを苦しめた。「砂嵐がひどかったので、ブドウを栽培するにはまず木を植えることが必要でした。ゴビ砂漠に植樹することは並大抵の難しさではなく、点滴かんがいで水を与えなければ木が育ちません」 

そこで陳さんは点滴かんがいシステムを導入し、最初に平らに整備した5万ムーの土地を小さく分けて、等間隔にポプラを植えた。その結果500万本余りのホプラを植えることになり、苗木のみで1億元近くかかり、さらに点滴かんがいシステムは必要コストが高く、その金額は2億元を超えた。

現在、そこはオアシスとなり、真っすぐ高くそびえるホプラはブドウ園だけではなく、周辺の生態環境も守っている。陳さんは一人でブドウ園を散歩するたびに、樹木やブドウが自分の子どものように感じられると言う。「われわれの力によってここの生態環境が一変し、砂漠がオアシスに変わったことは感無量です。よく考えてみると、これは企業の成功よりも有意義だと思います。

「コストが高すぎると言われたこともありますが、生態環境、人々の暮らし、農業はコストを考えるべきではありません。この十数年間、私が手に入れたものの価値は、その投資をはるかに超えています。私の行動によって、今の世代や次の世代にもオアシスを残せることができます」

荒れ地の上に緑が生まれ、次に考えたことは、さらなる経済的価値をどのように生み出すかということだった。

陳さんは、良質なワインは醸造ではなく栽培の段階で決まり、良質のブドウを栽培するためには良好な環境条件のほか、しっかりした技術で支えることが重要だと信じていた。そのため、彼はフランスやイタリアから、寒さや塩性アルカリ地に強く、極寒気候に耐えられる接ぎ木苗を仕入れ、同地に最も合ったブドウ棚の並べ方を一から考え始めた。それからわずか11年間で、陳さんのワイナリーが醸造したワインはさまざまな国際コンテストで受賞し、知名度を上げた。現在のブドウ園の栽培総面積は2万ムー余りとなり、品種はカベルネソーヴィニヨン、マスカット、リースリング、イタリアンリースリングなど十数種類もあり、年間生産量は約2000になった。

 

ブドウ園を耕す、閩寧鎮に来た新しい移民

 

緑の大地が仕事を生む

日々成長するブドウ園とワイナリーの事業以上に陳さんが誇りと喜びを覚えるのは、自身のブドウ産業パークが11年間にわたる発展によって、栽培、加工、販売を一体化した産業発展モデルをつくりあげ、約3000人の生態移民の雇用問題を解決し、1人当たりの年間収入を2万元余りに増やし、政府に貧困家庭として登録されていた90世帯を貧困から脱却させたことだ。

生態移民の大半は寧夏の西海固から来た人々だ。「天下一の不毛の地」といわれる「西海固」は、寧夏南部にある六つの国家級貧困県(地区)の総称だ。自然環境は非常に劣悪で、約300の年間降水量に対し、蒸発量は2000以上に達する。1972年、国際連合世界食糧計画(国連WFP)は西海固を人間の生存に最も適さない土地の一つと認定した。80年代から、寧夏は住民たちを生態環境が良好で雇用機会が多い土地へ続々と移住させ、2011年から15年にかけて35万人を移住させた。

困窮する寧夏の人々が貧困から脱却し、豊かな生活を送れるようにし、特に数多くの生態移民が新たな生活を始められるようにするため、1996年に福建省と寧夏回族自治区はペアリング支援方式で貧困救済を行う協力関係を築いた。ここ数年、福建省は、福建、広東および香港などで活躍している福建省出身の企業家や華僑に対し、寧夏で投資や起業をするよう積極的に呼び掛け、寧夏にいる福建省出身の企業家が集まる協会を頼り、多方面から経済協力の糸口を探している。陳さんが寧夏に来たのはそのような背景がある。

陳さんのブドウ園がある閩寧鎮には現在、六つの村があり、そこで暮らす6万人のうち4万4000人が生態移民として来た人々だ。村には商店、病院、学校が整備され、住宅エリアが整然と並んでいる。毎日定期バスでブドウ園や養殖場や近くの企業へ出勤する人々は福建省から来た技術者の指導を受けて、ブドウやキノコの栽培方法などを学ぶ。それによって、数万人の運命が変わった。

10万ムーの砂漠の開墾が終われば、この地の1万人余りに雇用機会を与えることになる、と陳さんは語った。「企業家にとって、投資と金儲けをするほかに、その場所の人々が幸せな生活を送るようにしなければなりません」と語る陳さんは、ここに大学生用のイノベーションパークもつくろうと考えている。「良好な生態環境や豊かな財産に恵まれている私は、大学生のために創業の機会を生み出したいです」(高原=文)

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