郵便配達の誇り胸に30年 雪の高原ひた走った人生

 

配達中でも他の車のタイヤチェーン装着を手伝うジグメさん

 

30年走ってきた『雪線郵便ルート』は寂しく孤独です。でも自分で選んだことですし、後悔はありません」。中国郵政グループ四川省カンゼ(甘孜)県支社の長距離郵送ドライバー、ジグメドルジェさん(57)はこう語り胸を張った。

四川省のカンゼチベット族自治州には、一年を通じて積雪の消えない「雪線郵便ルート」がある。全行程は往復1208、平均標高3500以上に及ぶ。これまで64年にわたり、この郵便ルートは全国各地からの郵便物を休むことなく雪の高原地帯の隅々まで送り、チベット族の暮らす地域の発展に大きな貢献を果たしてきた。

命の危険伴う冬の峠越え

ジグメさんは30年来、この雪線郵便ルートで最も標高が高く、最も道路が険しいカンゼ県―デルゲ(徳格)県間を毎月20回以上も往復してきた。彼が運転する郵便配達車は、これまで一度も事故を起こしたことがなく、毎回の郵送任務も滞りなく全うしてきた。

「この道は近隣省から郵便物がチベット自治区に入る最後の郵便ルートです。標高は2500から5000以上まで上がります。途中にある雀児山(6168)の名前は聞いたことがあるでしょう。『ワシでも飛び越えられない山』と呼ばれています」

この道は1年のうち半年以上、雪と氷に覆われている。夏にはしばしば道路の崩壊や土石流が起きる。冬には気温マイナス3040度まで下がり、積雪は50以上になる。車が残雪にはまると、抜け出すのは非常に難しい。気温が非常に低いので、路上の雪は踏み固められてすぐ氷になる。タイヤチェーンを装着していても、たまに崖下に転落する事故が起こる。

「高所恐怖症の人なら怖さのあまり冬でも車内で汗をかくでしょう」とジグメさんはニッコリ。雀児山の道路は最も狭い所では幅4にも満たず、1台の車がゆっくり通れるだけだ。ジグメさんは経験豊かなドライバーだが、車重12の郵便配達車を運転してこの難所を通り、加速し、ギアチェンジし、方向転換する際は少しも気を緩めない。

一年を通じてこの道を走る郵便配達ドライバーならば、ほとんどが大雪に閉じ込められた経験がある。ある時、ジグメさんも雪崩に遭遇した。道路修理班が待機する事務所は歩いて行ける距離にあったが、郵便物を守るため、彼と同乗のドゥンドゥップさんは配達車を離れなかった。二人はスコップで少しずつ雪かきをし、丸2日かけて1足らずの道を進んだ。「運転しているのではなく命をもてあそんでいるんだ、と言われたこともありますが、私たちは常に安全第一運転です」

配達車を念入りに点検すれば道中の苦しみは減る、というのが彼の経験からの信念だ。だから毎回出発する時には、まず車両を点検する。雪線郵便ルートでは、ジグメさんや同僚たちの運転する配達車は、ほかのドライバーたちにとって暗黙の道路標識になっている。危険な場所にぶつかるたびに配達車が真っ先に通過するからだ。配達車が通過して、やっと他の車も配達車のわだちの上を慎重に進むのだ。

「安全について私たちは自信を持っていますが、孤独は耐え難いです」

最も恐ろしいのは冬だという。それまで絶え間なく行き来していた輸送トラックが「冬ごもり」し、機械がごう音を立てていた工事現場は静まり返り、道路脇の食堂や商店も次々と店じまいし、出稼ぎに来ていた人々は帰郷する。それでもジグメさんは独りこの道を走らなければならない。空を飛ぶトビを除けば、周りには地面を駆けずり回る郵便配達の車しかいない。「特に春節(旧正月)が近づくと、多くの人は一家だんらんのため急いで帰省します。しかし私たちは配達車を運転し、ますます家から離れていきます。正直言えば、心の中では家族と一緒に過ごしたい気持ちでいっぱいです。でも私たちの仕事は止められないし、郵便配達車は必ず走らなければいけないんです」

5年がかりで建設していた全長7の雀児山トンネルが2017年、正式に開通した。おかげで配達車の山越えの所要時間は、2時間から10分に大幅に短縮された。その年の9月25日、ジグメさんと同僚は配達車を運転し、最後の1回となる雀児山越えの道を走った。道路修理班の労働者たちと別れのあいさつをした瞬間、ジグメさんの目から涙がこぼれ出た。

 

 

今は息子が配達管理の上司

ジグメさんは1963年にデルゲ県龔埡郷で生まれた。幼いころ、高原には車があまり走っていなかった。「私の古里で最初の新聞は、郵便配達車が持ってきました。中等専門学校の合格通知書は郵便配達員が届けてくれました。配達車を見ると、村のみんなが道端で一生懸命に手を振っていました。それを見て、もし郵便車の運転手になれたら何と光栄で誇らしいことだろうと思いました」

ジグメさんは18歳の時、車の運転より前にまず自動車の修理技術を身に付け、地元で少しは名前を知られるようになった。89年に運転免許を取った後、ちょうどデルゲ県が郵便配達車を配備し、彼はその運転手に応募した。車の運転と修理の腕前で地元ではとても有名だったので、ジグメさんの採用はすぐに決まった。

郵便の仕事に就いて以来、ジグメさんの走る路線はほぼ変わっていない。それはカンゼ県の県庁所在地から西へ向かい、雀児山を越えるルートだ。この路線は非常に過酷だが、ジグメさんは「子どものころの夢が実現して好きな仕事ができて、私はなんて幸せなのでしょうか」と顔をほころばす。

ジグメさんは雪線郵便ルートで30年働いた。チベット族が暮らす地域への政府の巨大な支援も目の当たりにし、古里の日進月歩の発展ぶりを見てきた。ネットショッピングの普及に伴い、高原の郵便小包はますます増えている。彼は「皆さんが目を輝かせて小包を開ける様子を見ると、とてもうれしくなります」と満足げな表情を見せる。

息子のタシツェワンさんもジグメさんの影響を受け、中国郵政の仕事に就いた。タシさんは現在、カンゼ県支社で郵便ネットワークの運営管理の仕事をしている。ジグメさんは「今、息子は私の上役で、私たちの配達ルートの管理調整を担当しています」と笑う。

息子のタシさんは、「以前は父の仕事をよく理解していませんでした。自分も今この仕事に就き、父が配達中どんな状況か時々心配になります。しかし、それでも私は父を応援しています。運転中の父は幸せそうにしているからです」と話す。

カム地方(四川省のチベット族居住区周辺地域)の多くの男性と同様に、ジグメさんは朗らかな性格で、しかも素晴らしい声を持っている。彼は若いころ、今では有名なチベット族歌手のヤートンさんと共に大型トラックを運転していたことがある。「以前にヤートンから一緒にステージで歌おうと誘われました。でも、私はやっぱり運転が好きなんです。歌はハンドルを握っていても歌えますから」(高原=文 新華社=写真)

 

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