中国シンクロにメダルもたらす

呉文欽=文

 

シンクロ界の母 中国へ

2006年12、衝撃的なニュースが中日両国の水泳界を駆け巡った。日本のシンクロナイズドスイミング(以下シンクロ)の指導者として知られる井村雅代さん(69=現在)が、中国代表チームのヘッドコーチに就任し、08年の北京オリンピックの制覇を宣言したのだ。

「当時の日本国内で私は『裏切り者』『国賊』と言われました。本当に『売国奴』なのだろうかと自問自答を繰り返したものです」。井村さんは当時を振り返り、苦笑を浮かべた。

「日本シンクロ界の母」と呼ばれていた井村さんは、1984年から2004年にかけて、ヘッドコーチとして日本代表チームを6回連続でオリンピックに送り出し、銀メダル四つ、銅メダル七つを獲得という華々しい成績を残した。04年のアテネオリンピックを最後にヘッドコーチを退き、地元の大阪で指導に当たっていたところ、06年に中国水泳協会の要請を受け、中国代表チームのヘッドコーチに就任することを決意した。

中国は08年に行われる北京オリンピックの主催国だった。当時の両国政府は決して良好な関係ではなかったが、中国水泳協会はそれを意に介さず、井村さんが中国チームを率いるのに最もふさわしいコーチだと判断した。

「その誠意と信頼に心を動かされ、中国のメダル獲得に力を尽くそうと心に誓いました」。確固とした意志を秘めたまなざしが、当時の決意を物語る。

 

筋トレで高難度の技挑む

井村さんは日本チームのコーチをしていたころ、中国チームの演技を見たことがあった。背が高く柔軟な体、長い足と素晴らしい脚線美を持った選手ばかりで資質は充分。しかし、演技後半のここ一番という時にスタミナ切れになり、満足な結果を出せていない。「こんなに素晴らしい身体能力を持ちながら、それが充分に発揮できていないなんて、何ともったいない」。ライバルとしては好都合だが、井村さんは何とももどかしい気持ちで中国チームの演技を見ていた。

指導開始からわずか3カ月後の07年3月、オーストラリアのメルボルンで行われた第12回世界水泳選手権で、中国チームはデュエットと団体で初の4位という快挙を成し遂げた。だが、井村さんは選手のポテンシャルがまだ充分に発揮されていないと感じ、さらにハードなトレーニングを決意する。しかし日々の練習量を少し増やしただけで、選手たちは体の痛みを訴え始めた。

「私が最初に覚えた中国語は『没有肌肉』(筋肉がない)でした」。井村さんはがっかり半分、冗談半分といった感じで語る。演技中のスタミナ切れは、筋肉が充分に鍛えられていないのに高難度の演技に挑んでいるからだったのだ。そこで井村さんはテクニック重視から筋力トレーニング重視の練習に切り替え、さらに食事メニューを見直して、栄養面からの身体づくりを心掛けた。そのような努力のかいあって、選手たちは見る間に肉体的にも精神的にも良好なパフォーマンスを発揮できるようになっていった。

そして08年8月23日、北京オリンピックの晴れ舞台で、中国チームは中国武術の要素を採り入れたオリジナル演目「剣魂」を演じ、ついに97・334という高得点を得て団体種目で銅メダルを獲得した。中国シンクロチームにとっては初めてのオリンピックのメダルだった。しかし、井村さんは選手たちが喜びに沸いている輪の中には入らず、固く抱き合ったり号泣する様子を近くで見つめていた。そして、「私が日本からコーチにやってきたのは、この瞬間を見るためだったんだ」と喜びをかみ締めたという。

 

中国チームの活躍期待

12年のロンドンオリンピックで中国チームに銀メダルをもたらした井村さんは、コーチを退くことを決意した。「ロンドンオリンピック後も引き続きコーチを続けてほしいという中国側からのオファーはありましたが、私は教えるべきことは全て教え尽くしたと感じていました。私がいなくても、中国チームは前に進めると思ったんです」と、井村さんは説明する。

井村さんは14年から再度日本チームのヘッドコーチに就任した。よって、20年に開催する東京オリンピックでは、日本チームを率いて中国チームと戦うことになる。「中国チームが私の指導で強豪になったことは、一部の日本人にとっては確かに面白くないことでしょう。しかし私は、それよりも多くの日本人が誇りに思ってくれていると信じています。東京オリンピックでは、中国チームがロシアを王座から引きずり下ろし、金メダルを取ることに期待したいですね」

 

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