新中国の成長見守る華僑

王衆一=文

1949年10月1日、中華人民共和国が成立したというニュースが日本に伝わると、華僑たちは次々と祝電を打ち、みんなで喜びを分かち合った。当時日本に留学していた韓慶愈さんは祖国の新生に喜び勇み、人生の方向性を決めた。

日本から新中国を支援する

韓さんは今年、93歳になる。43年に日本に留学し、日本敗戦後も日本に滞在し、記者の仕事に就いた。53年の朝鮮戦争休戦後、祖国に帰って新中国建設に参加する予定だったが、最終的に日本に残った。そして、「祖国統一を推し進め、中日友好を促す」を趣旨とする中国語新聞『大地報』を創刊した。その後、向陽社を設立し、中日の技術交流とビジネス・貿易に取り組んできた。

5566年まで、韓さんは中国の40以上の訪日団体に応対し、中日関係史における多くの重要な歴史的瞬間を目撃した。「54年の中国紅十字会代表団は、初めて訪日した祖国の代表団でした。日本全国の華僑が沸き立ちました」。当時、韓さんは記者として同行取材をした。「車で大阪から京都に向かう1時間の道のりでは、沿道を埋め尽くした人たちが赤十字の旗を振って歓迎してくれました。その光景には感動しましたし、忘れられません」

日本に身を置きながらも、韓さんは常に祖国の発展に関心を持っていた。「代表団から、長春に中国初の自動車製造工場ができたことを知らされました。『解放』ブランドの国産トラックの写真を見て、感無量になりました。その後、長江には橋を架けられないという世界の橋梁専門家の常識を打ち破り、武漢長江大橋が完成したのを見て、いっそう晴れ晴れとした気持ちになりました」

技術導入で通信を円滑化

 改革開放後、韓さんはより能力を発揮し、日本のファクス技術や品質管理システムを中国に導入した。「78年に日本の専門家グループを組織し、中国にファクス技術を紹介しました。同時に、この技術の試用について中国電話局と相談しましたが、すでに向陽社の北京事務所とファクスを使って業務をしていました。翌年、中国政府は正式にファクス業務を許可し、中国と世界の通信効率を大幅に向上させました」。また、韓さんは中国中央テレビ(CCTV)を説得して、広告業務を引き受けさせた。さらに『鉄腕アトム』などのアニメを輸入し、中国で初めてアニメ番組にCMを流すモデルをつくり出した。

韓さんは中日韓海底トンネルの建設を後押ししたいという目標を持っている。「もしこの夢が実現すれば、日本と中国の間に大きな経済効果が生み出せます」

新中国成立70周年を迎えるに当たり、韓さんはこう話した。「互恵は中日両国にとって福音です。70年にわたって、中国は戦争や略奪ではなく、貿易や互恵による繁栄を実現してきました。私たち華僑も、現地の人々からよりいっそう尊敬されています。毎日、祖国の発展と進歩を見守るのが楽しく、祖国の未来を祝福しています」

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850