中国に注目し続けた半生

    昕宇=

 先月、『人民中国』創刊時からの読者で、今年99歳になる神宮寺敬さんを訪ねた。山梨県甲府市の牧歌的な田園風景の中にぽつんと建つ民家を訪ねると、スーツを着込んだ神宮寺さんが迎えてくれた。一見ごく普通のお年寄りに見える神宮寺さんだが、1世紀近い人生の大半は常に中国と共にあった。

 1944年に日本軍の歩兵連隊通信隊長として上海近郊に派遣された神宮寺さんは、中国で終戦を迎え、46年帰国する。その後も中国の現状を知るために、自分で短波受信機を組み立てて北京放送(現CRI・中国国際放送局)の日本語放送を聞いていた。友人の紹介で読み始めた『人民中国』は、ほどなく周囲に購読を勧めるほどの熱心な読者となった。

 人民中国雑誌社は66年に、販売拡大に貢献した10人を50日間の訪中旅行に招待した。神宮寺さんもそのうちの1人だった。『毛沢東選集』を熟読し、毛沢東の戦略と戦術を賞賛していた神宮寺さんは、「軍人としての毛沢東ではなく、政治家としての毛沢東がどのような国をつくったかを知りたくて、中国を訪ねたわけです」と当時の訪中の目的を語った。当時はまだ国交が回復していなかったため、一行は香港、{しんせん}深圳、広州を経由し、3日かけて北京にたどり着いた。

 訪中旅行で最も思い出深いのは、宿泊先の北京民族飯店で出された「もやし」だという。

 団員たちはそろって野菜好きで、もやしが食卓に上るとあっという間に平らげた。神宮寺さんはある日、従業員がもやしの豆を一つ一つ取り除いているのを目にし、心を打たれた。「両国はかつて戦った関係です。今も日本人に対して反感を持っている人もいるかもしれません。どんな待遇を受けるかと実はひやひやしていましたが、もやしの豆を丁寧に取る姿に、中国の人々の友好と真心を感じました。この旅で得た中国の印象は強烈なもので、日中友好の仕事は私の人生そのものだと、家族と共にその道を歩むことを決意しました」と語る。本業のかたわら、山梨県日中友好協会の創設、山梨大学の中国人留学生への住居提供、中国国際放送局アナウンサーの日本研修のパイプ役など、さまざまな立場で中国と関わり、86年から年に1度の北京家族旅行を欠かさず続けている。

 初訪中の際、「10年後、中国がどうなったのかをまた見に来たい」と言う神宮寺さんたちに、当時の人民中国雑誌社社長は、「では毎月雑誌に感想を寄せてください」と言った。その言葉通り、神宮寺さんは毎号の感想を送り続けた。10年後に訪中を果たした神宮寺さんは、社長との約束を守った団員が自分だけだったと知った。「約束したことは必ず守る。友好の原点です」と、今でも読者はがきを毎月送り続けている。

 「鄧小平の『先に豊かになれる者から豊かになれ』という政策で、中国は目覚ましい発展を遂げました。今はスマートフォンさえあればタクシーを呼べるし、外出に財布もいりません。このような中国は予想だにしなかった」と驚きをあらわにする神宮寺さん。新中国と共に歩んできた中国との縁を「友好」の一言で表した。「日中友好は私の生涯変わらない姿勢ですが、中国と仲良くすることは、世界の平和にとっても大切なことです。そして、日本と中国は二度と戦ってはならないということを、子どもたちや世間に伝えたいです」

  

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