姜維 起業家第1号の奮闘

段非平=文

中国の民営経済の発展の歴史を語る上で、欠かせない人物がいる。「改革開放後の民営企業の第一人者」と呼ばれる姜維さんだ。

1980年、30歳だった姜さんは大連動物園前で、観光客の記念写真を撮って生計を立てていた。商売は繁盛していたが、当時は個人事業主に対して社会的な偏見があったため、姜さんは胸を張れなかった。そして83年8月30日は彼が生涯忘れられない日になった。胡耀邦総書記(当時)が「光栄(光彩)であることと光栄でないことの違いは何か」と題した重要講話で、個人事業主は自力で生計を立て、国のために貢献し、光栄に満ちている、と強調したのだ。「その言葉に力をもらって、生まれ変わったような気がしました」と姜さんは感慨深げに話す。

84年初頭、香港のビジネスマンから、原価19万8000元(当時の大連市民の平均年収の約560倍)のカラー写真現像設備の購入を持ち掛けられた。姜さんは大喜びしたが、天文学的な金額に頭を抱えた。合資を思い付いたが、当時の法律では個人事業主には法人化する資格がなく、外資系企業や投資家(香港マカオ台湾地区を含む)と合資することができなかった。だが姜さんはあきらめず、北京に行って政策の認可を得ることを決意した。

北京を駆け回ること3カ月、中央の関係部門はようやく姜さんの報告に耳を傾け、解決案を検討すると返答した。「その時やっと、私個人の願いはすでに国家の議題になっていたことに気付きました。新中国政府は社会主義改造を経て、57年に中国の民営経済を廃止すると宣言しましたが、復活させるには党と国家の新たな判断が必要でした」と姜さんは振り返る。

8411月9日、姜さんに朗報が舞い込んだ。国務院の特別承認を経て、彼は民営企業を立ち上げられるようになった。彼は迷うことなく会社名を「光彩公司」とした。85年4月13日、大連市商工局は新中国最初の民営企業営業免許を姜さんに交付した。姜さんにとって、それが人生の転機になった。一方これは、中国の改革開放がもたらした新しい変化を表し、中国の民営企業が再び国に認められたことを意味した。

その後、姜さんは中国の民営経済が復活し、発展、拡大するのを目撃してきた。姜さんから見て、国家の民営経済発展政策の一貫性はその発展を推し進める重要な保障だった。

現在、民営経済は中国のGDPの60%以上、技術革新による成果の70%以上、都市部の雇用の80%以上、新規雇用の90%以上をもたらしており、中国経済の重要な担い手になっている。中国経済の未来について、姜さんはこう断言する。「党と政府の支持の下、民営企業が初心を忘れず、光栄なことを行い続ければ、中国の民営経済の未来は必ずいっそう明るくなると信じています」

 

1980年に大連動物園の前で観光客の記念写真撮影をしていた姜さん(写真提供姜維)

 

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