美しい「哀牢国」の伝説

 心和らぐ青華海の風景だが、実はその湖底には、ある少数民族の文化発祥にまつわる物語が眠っている。紀元前300年頃のことだ。一人の少数民族の娘が青華海で漁をしていて、水の中の小さな木切れに触れた。その後、娘は10人の男の子を身ごもった。そのうちの一番小さな子が後に国王となり、保山を中心とする哀牢国を打ち立てたという。

 現地の歴史・文化に詳しい学者の肖正偉氏はこう説明する。「触木懐子」(木に触れて身ごもる)は美しい神話伝説だが、これは当時の保山に、母系氏族社会から父系氏族社会へと移り変わる古い文明があったことを物語っている。

 「哀牢」は「大王」を意味する。哀牢国は、当時の哀牢村落をはじめとする多くの少数民族によってできた地方政権だった。漢の武帝は呂不韋(戦国時代の大商人、政治家)の子孫をここに移住させ、「不韋県」とした。こうして漢民族と現地の少数民族の大融合が幕を開けた。西暦69年、時の哀牢国王は後漢王朝の隆盛ぶりを見て、自身の子に村落の首領を率いて洛陽に北上させ、哀牢国の実権とその領土を後漢王朝に献上、帰順した。後漢王朝はこれをこれまでにないめでたい出来事として、不韋県を含む8県を一つにまとめて永昌郡とした。これは「哀牢帰漢」と呼ばれる史実だ。今でも保山は、漢民族を中心とする多民族の居住地域である。「永世昌盛」(長きにわたる繁栄)――この地のそれぞれの民族と人々は、「永昌」という深い意味を持つ素晴らしい古称を今も変わらず愛し続けている。

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