荒れ山を森林に変えた老幹部

 緑の樹林が陰なす春うららの山に遊ぶ――まるで天然の酸素バーに入ったようだ。ここは施甸県の大亮山。だが30年前は一面荒れ果てた山だった。このはげ山を緑の峰々に変えたのは、保山のリーダーの一人で地区党委員会書記を務めた楊善洲氏だ。楊氏は1988年に定年退職すると、省都・昆明での悠々自適の生活という恵まれた条件を断り、鋤を担いで古里に戻って山に木を植え造林活動を始めた。

 「わたしたち子どもとしては、退職したら父に家に戻って母と一緒に暮らしてほしいと望んでいました。でも、父は植樹をやると定年前から決めていました。年をとっても古里のために何かやりたかったのです。やめさせるなんてできませんでした」。楊氏の長女・楊会菊さんはこう振り返った。

 かつての大亮山は木もなく一面荒れ果てた山で、現地の人は皆、楊善洲氏に他の所に植樹するよう勧めた。しかし、古里の麗しい山河を取り戻そうと決意を固めた楊氏は、大亮山に営林場を立ち上げて腰を落ち着けた。現地の人々を率い、共に作業に励み続けて20年。そして2009年、3億元の価値を持つ営林場を国に無償で寄付。古里の人々に幸せをもたらしたいという願いは、ついに成就した。1年後、楊氏は他界した。

 楊氏の無私に貢献する心が、家族の理解を勝ち取った。また多くの後に続く人々を生んだ。1990年に営林場にやってきた現在の営林場長・周波氏もその一人だ。若い頃、周氏はこんなに厳しい仕事とは思ってもみなかった。逃げ出そうと考えたことさえあった。実は周氏には、これまで二度ほど県中心部への転勤の機会があった。だが、「楊さんは良い人だから、いっしょに付いて行けば間違いない」と二度とも父親からこう諭され、そのまま残る道を選んだ。そして現在に至った。

 その後、楊書記を記念して、営林場は善洲営林場と名付けられた。さらに党幹部の学習施設として楊善洲幹部学院も建設された。今ここでは、荒れ果てた山から緑の峰々に変わった大亮山こそが一番の生きた教材となり、全国の共産党員に楊氏の奮闘努力ぶりを伝えている。



過去の大亮山と現在の姿


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