若者へつなぐ伝統の技

 騰衝火山地熱国家地質公園から少し北にある固東鎮に来た。この村は、竹と紙を使った伝統的な雨傘作りで知られる。農閑期の仕事として始まり、約300年の歴史を誇る。最盛期の70年代には、村全体で100軒ほどの傘工房があったそうだ。しかし、高齢化と出稼ぎの波には勝てず、今は8軒にまで減ってしまった。その中の一軒、女性の傘職人・李恩秀さん(49)の仕事場を訪ねた。

 せっせと傘にツルや梅の絵を描く李さん。実は、ここは李さんの義理の父で、傘作り技術の無形文化財継承者である鄭映海さん(93)の工房だ。李さんは鄭さんから傘作りの全てを学んだ。取材当日、あいにく鄭さんは留守で、李さんが対応してくれた。

 直径4050㌢の小さな傘から、1㍍もありそうな大きな傘まで、一つ一つ丁寧に絵付けをする李さん。傘作りは全部で11工程あり、絵付けは最後に近い。最も時間をかけるのは、意外にも骨組となる竹の原木を水に浸す準備作業だ。1~3年かけて竹の中に巣くう(5)虫などを殺す。こうして消毒した竹はしなやかで、丈夫で長持ちだという。一般的な傘で1本200~300元ほど。今では、注文を受けたり、工芸品として買っていく客が多いという。

 作業で一番難しいのは、「中心となる軸をしっかり作るところ」と李さん。また、複雑な絵柄だと時間がかかるという。何日もかけて、やっと1本の傘を仕上げる地味な仕事だ。

 中国の田舎では、多くの収入を求めて都市に出稼ぎに行く若者が後を絶たない。その結果、農村では農業や伝統的手工業の後継者が不足する事態となる。固東鎮も例外ではない。李さんの長男(28)も出稼ぎに出て、傘作りは受け継いでいない。

 「それは仕方のないこと。でも、先祖から伝わる技術が私の代で途切れたら申し訳ない。学びたい人がいれば教えたい」と話す李さん。最近は、体験学習の一つとして傘作りを学びに来る児童・生徒たちも増えているという。そうした子どもたちの中から、近い将来、傘作りの後継者も生まれてくるのかもしれない。李さんもそれを期待しているかのように、子どもたちの一生懸命な作業ぶりについて、うれしそうに語ってくれた。


丹精込めて絵付けする李恩秀さん

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