メディア・アーツ都市に変貌

 長沙と日韓両国の友好交流は今日まで続いている。1982年、長沙は鹿児島市と友好都市協定を締結し、98年には韓国の亀尾市と協定を締結した。その後、長沙は両都市と交流を続けてきた。おはら祭のイベントは長沙で何度も行われており、人々は歌や踊りを通して鹿児島の伝統的な祭日を共に楽しんでいる。また2004年から、長沙市芸術団と亀尾文化院は隔年で相互訪問を行い、両市の市民に互いの伝統文化を紹介している。亀尾市の代表的な民謡『アリラン』は何度も長沙で演奏され、長沙花鼓戯の中の「劉海砍樵」の物語も何度も亀尾で上演されている。

 長沙が生んだ美しい湘繍は国際市場で高く評価されている。日本湖南総商会と湖南湘繍城グループは今年1月、長沙で契約を結び、今後双方は協力して、湘繍の日本を含む海外進出を後押しすることになった。

 16年に長沙が「東アジア文化都市」に選出された後、翌年は長沙イベント年と定められ、東アジア文化都市の交流イベントが長沙で開催された。湘劇や花鼓戯、湘繍などの無形文化遺産、青銅器や簡牘、長沙窯磁器などの選び抜かれた文化財が日韓の巡回展で展示された。


李自健美術館は世界の同種の個人芸術館の中でも規模が最大級で、展示品も豊富である

 現在の長沙は徐々に国際的に有名なメディア・アーツ都市になっている。瀏陽河畔の馬欄山は岳麓山に次いで、現代の長沙の一大「名山」になりつつある。多数の動画文化クリエイティブ企業がここに集まり、海外にも名をはせるバラエティー番組や映画・ドラマを数多く制作している。湘江の河岸には世界最大の芸術家個人美術館である「李自健美術館」がそびえている。有名な在米画家の李自健氏は油絵で人間性と美を語り、その作品はこれまで30以上の国・地域でチャリティー巡回展を行い、参観者は累計350万人を超えている。

 水運に頼って対外交流を行うしかなかった「四塞の地」から、国際的なメディア・アーツ都市とたたえられるまで、長沙は自然条件の制約から抜け出して、一歩一歩世界に注目されるようになっている。色とりどりの瀏陽花炮が何度も橘子洲で燃え上がり、街角のあちこちにある国風ミルクティー店「茶顔悦色」はファンの人たちであふれかえっている。これら新たに派生した「名刺」によって、歴史のある長沙は数千年の月日を経ても、依然として活気と魅力に満ちているのである。


橘子洲では重要な祝祭日になると花火が打ち上げられるが、杜甫江閣はその最高の鑑賞スポットの一つだ。いまや瀏陽花炮は見ても聴いても楽しめる「花火ショー」になっており、世界の主な大型イベントの花火ショーに瀏陽出身者は欠かせなくなってきている

(提供元未記載の写真は全て「長沙市文化・観光広電局」提供)