敦煌文化の保護と伝承

 敦煌文化の保護と伝承といえば、まず莫高窟の文化財流出について触れることになる。1900年夏、道士の王円籙が蔵経洞を開き、石窟に900年近く閉ざされていた文化財が再び日の目を見た。彼は何度も同地の政府役人に報告したが、重視されなかった。その後、07年に、敦煌にやって来た英国人スタインは、王道士を騙して宝物庫の門を開けさせ、洞窟の修繕費を至急必要としていた王道士から、数千点の写経、絹画、絹織物などの貴重な文化財を安価で購入した。これにより敦煌の宝は正式に世界に知られることとなった。その後、多くの西洋の探検家がここに宝を探しに来た。こうして、敦煌の文化財は大量に海外に流出した。

 


 敦煌遺産を救い、保護するため、1944年に国立敦煌芸術研究所が正式に設立され、常書鴻氏が初代所長に就任した。これは敦煌石窟保護の一つの里程標であり、中国で最も早く設立された敦煌学研究の専門機関が、敦煌石窟に対する全面的な保護作業を開始したことを意味する。51年、国立敦煌芸術研究所は敦煌文物研究所と改称し、政府が特別資金を投入し、石窟を全面的に修繕・補強し、崩落の危険を解消した。この時期には、大量の壁画の模写作業も行われた。84年、敦煌文物研究所は拡充されて敦煌研究院となり、敦煌文化の保護は緊急救出的な保護から徐々に科学的な保護の段階へと移行した。






 その後も、政府は大量の経費と人材を敦煌の文化保護事業に投入し、遺跡環境の保護、壁画・仏像など文化財の修復を行い、敦煌文化芸術の研究などを展開している。特にインターネット技術と5Gの時代になってからは、どのように科学的・合理的に敦煌石窟芸術を保護・分析するかが新時代の重要な課題となっている。2014年8月、莫高窟デジタル展示センターが運営を開始し、大量の壁画が写真撮影され、センターのデータベースに保存された。デジタル展示センターでは映画を毎日30回放映し、定員は毎回200人、参観者はまずそれを見てから石窟を参観するようになっている。こうして、参観者が莫高窟の歴史を理解できるようにし、また、観光客が石窟にとどまる時間を最小限に減らし、石窟内の壁画をより良く保護できるようにしている。石窟の外でも、より多くの人がインターネットを通じて莫高窟を見られるようになった。16年、「デジタル敦煌」が世界に公開された。研究院のスタッフが十数年かけてつくった莫高窟のデジタルアーカイブにより、より立体的な姿の代表的な石窟30カ所がネット上で、全世界のより多くの敦煌文化を愛する人々から見られるようになった。