市電

 

 

大連民主広場には、幾つかの市電路線が交錯している。ガタンガタンという音と共に、1両の赤い旧式の電車がゆっくりと入って来る。こうした古いタイプの市電は映画の中でしか見たことがない。1920年代から30年代、あるいはもっと以前の光景だ。時間が逆流してしまったのだろうか? まるで夢を見ているようだと思っていたところに、もう1両の赤と黄色のラインが入った美しい車両が別の方向からやって来た。現代的な市電車両とおしゃれなファッションの乗客が、私たちをまた現代の大連に呼び戻してくれたのだ。あるいは大連の街角でだけ、こうした懐かしさと現代がすれ違う感覚を味わえるのかもしれない。 市電の歴史は100年以上前にさかのぼる。1907年、日本の南満州鉄道株式会社が大連に最初の市電路線を敷くことを計画し、09年に開通させた。線路の長さは245だった。その後、市電は大連と共に風雨の洗礼を受け、この都市の歴史における文脈の重みを担ってきた。46年、大連市政府は日本人の手から大連都市交通株式会社を引き継いで大連市交通公司と改名し、相次いで多くの路線を修復した。49年、市街地には105台の市電があり、1日平均延べ15万人以上の乗客を運ぶなど市内交通に大きな役割を果たしてきた。  車内までレトロ感たっぷり

大連っ子は古い市電にひとかどならぬ深い愛着を持っている。2007年、大連は1930年代に製造された市電車両の改造を行い、古い市電車両が再び人々の前に姿を現した。木製のシート、車両のトップに備えつけられた古めかしいライト、褐色の取っ手に加え、運転士の操縦レバーなど、改造後の車両には多くの過去を示す記号が残されている。 電車内の座席上方には数多くの古いモノクロの写真が飾られ、乗客はそこから市電が大きく移り変わった世の中と交通の歴史において担った重要な役割を読み取ることができる。1928年に撮影された1枚の写真からは、当時の「満鉄」というプレートの入った市電は車体の色で等級付けがなされており、白い車体の電車には外国人が乗り、中国人が乗るのは赤い色をした等級の低い「労工車」だったことが分かる。現在では、こうした屈辱の歴史は過去のものとなり、再び繰り返されることはない。 市電にはかつてひとつの伝統があった。それは運転士がすべて女性だったことだ。1948年、大連市交通公司は最初の市電運転士学習班を開催、ここから女性運転士が市電を運転する伝統がその後数十年にわたって築かれた。現在では運転台に若い男性の姿も見られるようになったが、女性運転士の比率は依然として90%前後を占めている。彼女たちの多くが40歳前後の中年女性だが、そのさっそうとした姿は大連の市電を代表するイメージとなっている。 大連における都市交通の発展に伴い、地下鉄や「軽軌」と呼ばれる近郊鉄道の整備が飛躍的に進んでおり、古い市電は目下1路線が残るのみとなっている。しかし、いかに時代が移り変わろうとも、古い市電は依然として大連の大通りや路地を行き交い、やさしい文化保護者としてこの都市を見守っている。

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