切子ガラス

 

20世紀初頭、日本から大量の移民が大連にやって来たため、日本人はここに大規模な鉄道や工場の建設を開始した。彼らは大連がガラスの原料となるケイ砂を産することを知って、ここにガラス製品を作る工場を建設し、大連は中国北方のガラス製造業をリードする都市となった。 当時の日本人が建てたガラス工場では、主に色ガラスとカッティングガラスの工芸品を生産していた。大量生産されることで、それまで高価だったガラス工芸品は一般家庭にも入り込み、大連の人々が好む装飾品となった。日本の切子ガラス工芸もこの時期に大連に導入された。新中国成立後、工場は国営となり、切子ガラス工芸の技術も伝承された。1980年代になると、かつて国営工場で働いていた職人たちの中から、学んだ技能を生かして民営の工芸品製作企業を起こす者が続々と現れた。 大連駅からそう遠くない場所に、切子ガラスの品物を扱う店がある。店主の周順波さんによると、大連を訪れる日本人観光客の多くが切子ガラスの工芸品を買っておみやげにするのが好きだという。周さんは1998年に切子ガラスの工芸品を専門に生産する工場を開き、多くの切子職人を育ててきた。最も商売が好調だった2003年には150人の従業員を抱えるまでになったが、製品の大部分は日本の大阪とヨーロッパの一部の国からの注文で生産されていた。08年、原材料価格の高騰が原因で工場をたたんだが、切子ガラス工芸に強い思いを抱く周さんはこの専門店の経営だけは続けることにした。彼は、「今はもう日本から生産の注文はありませんが、今でも日本からのお客さんが店に切子ガラス工芸品を買いに来てくれます。幸いかつて多くの切子職人を育てましたので、この工芸が大連で続いていってほしいと思います」と語っている。

 

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