北の港町

 

 

現在大連がある場所は、かつて「青泥洼」と呼ばれていた。19世紀末、帝政ロシアは清朝政府から現在の旅順や大連一帯を「租借」して港湾商業都市を建設した。ロシア人はヨーロッパ風の都市計画と建築スタイルで建設を進め、この地域に「ダルニー」という名をつけた。1905年、日露戦争でロシアを破った日本がこの地にやって来て「大連」と改名し、ロシアの基礎の上に都市建設を進めたのだった。 こうした歴史のため、大連は中国北方の都市でありながら独特の異国情緒を備えている。市の中心部にある中山広場の周囲には当時建設された西洋建築がそびえ立っている。ロマネスク様式、ゴシック様式、ルネサンス様式などの建物があり、西欧的な雰囲気に満ちている。これら建築物の大部分は現在では金融機関が使用しており、中山広場は大連市の金融センターの様相を呈している。また、広場に面して1909年に建てられた当時大連最高級のヤマト旅館(現在は大連賓館)も残されている。 中山広場は円形をしており、ラウンドアバウト(環状式交差点)となっていて10本の道路が放射状に各方向に伸び、ここから市内のいずれの方向にも直接向かって行くことができる。多数のロシア人と日本人がここで生活していたためだろうか、現在でも大連の街を行くとタイムスリップでもしたかのような感覚に陥る。幾つかの骨董店では、西洋人が使った蓄音機や銀食器などを目にすることができる。また昭和初期の日本人家庭の日用品や工芸品も並んでおり、当時の大連の面影をしのぶことができる。

 

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