貴族の庭園から市民の憩いの場に

 

戦乱の時代が幕を閉じ、静けさを取り戻した逍遥津は、裕福な貴族に買われ、美しいプライベートガーデンとなった。しかし、時間がたつに連れ、貴族の地位は没落し、逍遥津も日に日に活気を失い、いつの間にか雑草が生い茂るようになった。新中国成立後間もなく、国はその地理的な好条件を評価し、逍遥津を国有化し、市民のために初めての市民公園を建設した。

逍遥津公園は合肥の人々にとって、何世代にもわたる都市の記憶とも言える。今では、さまざまな電動のアトラクションが園内に設置されているが、以前、人々によく知られるスターのような人気アトラクションといえば、50年代末期に作られた「象さん」の形の滑り台だった。当時、公園には遊具がほとんどなく、あるのはその白い滑り台とシーソー2台だけだった。それでも子どもたちは十分に楽しんでいた。その後、園内がどのように改装されても、この滑り台だけは当時のままそこに残され、今でも合肥の人々の楽しい子ども時代の記憶となっている。通りすがりの若い社会人に話を聞くと、「昼間は少し恥ずかしくて来れないけど、たまに夜に友だちと来て、滑り台で遊びます。大人なっても、子どもの頃の単純な遊びが恋しくなるんです」と言っていた。

この滑り台も今年でもう50才だ。ぼろぼろになり、そろそろガタがくるのではないかと思わせる。しかし、公園の管理人は笑いながら、「そんなことないんです」と言う。実はこの「象さん」、管理委員会が毎年定期的に清掃・補修工事を行っている。ぼろぼろの見た目は、委員会が年代感を保とうと、補修工事の際、わざわざ元のままの姿を残しているからだ。

 

逍遥津公園にある「象さん」の滑り台。天気のいい日にはいつも子どもたちが長い列をつくる(写真・施玉芹)

 

現在の逍遥津公園は、いつ来ても子どもたちの楽しい笑い声が絶えない。2007年まで、逍遥津公園は入場料が必要だった。90年代、ここは市民の休日の憩いの場、そして若者たちのデートスポットとして人気だったが、入場料を無料にしてからは、さらに人気が高まり、休日になると遊びに来る人であふれかえるようになった。逍遥津にある天然の水域は東と西に分かれている。東は「動き」を重視するエリアで、さまざまなアトラクションや芝生、小さな動植物園があり、天気が良い日は芝生に寝転がる人、たこ揚げをする人、踊りを楽しむ人でにぎわっている。西側は「静かさ」をテーマとし、公園建設当時から残る小道やあずまやがあり、散歩や読書に向いている。