「罍」という字の由来

 

 合肥市内に戻ると夜になっていた。寧国南路近くの、赤いちょうちんがぶら下がる歩行者天国に目を向けると、高さ2.5メートル、重さ約2トンの「罍」の形をしたモニュメントが見えた。罍街の西側の入口だ。街は合肥市民の誰もが知っている夜市で、その名前は安徽省の「罍文化」と関わりがある。

 罍は春秋時代(紀元前770年~前476年)、酒を飲む際に使われた青銅製の杯だ。酒文化の発展とともに、罍はその文化の媒介物として、生活の中で重要な役割を果たしてきた。現代でも合肥の人々が酒を飲む際には、「炸罍子(主人と客が杯をぶつけ合って一気に飲み干す)」という習慣がある。言い伝えによれば、555年、巣湖流域に拠る二つの政治勢力の間で争いが起こり、庶民が言葉にできないほどの苦しみを味わった。そのため、両勢力は話し合い、「炸罍子」をして、休戦することにしたという。このような、酒で争いを解決し、親睦を深めるやり方は、中国の酒文化に深く根付いている。
 
「罍」のモニュメントは、安徽省蚌埠市で出土した春秋時代の青銅器「鏤空龍耳罍」がモデルだ。大きさは100倍で、純銅製。16の工程と2カ月間の作業を経て完成した