偉大な政治家の墓を巡って

 「包拯」と聞いて、中国人なら、テレビドラマでおなじみの色黒でしかめっ面をした「包青天」のイメージを思い浮かべる。北宋(9601127年)の政治家である包拯(9991062年)は、仕事に私情を挟まず、相手が誰だろうと絶対の公正・公平を貫いた素晴らしい裁判官であり、正義の味方として人々に慕われてきた。その精神は今日でもたたえられ、彼を尊敬する人々がふるさとの合肥へやって来ては、線香をたいて彼の墓や祠を参拝している。

 合肥は包拯が生まれた地であり、彼が眠る地でもある。1973年、合肥の東の郊外にある大興集で包拯の墓は発見された。学術的にこの墓が本物の包拯の墓と断定されたのは、墓の中から包拯のものと見られる遺骨と墓誌銘が同時に発見されたからだ。

 包拯は皇帝にその政治信念をたたえられ、他界したあと、特別に中国特有の金絲楠(クスノキの一種)の木で作ったひつぎに眠ることが許された。発掘当時、長年の埋蔵により、ひつぎはすでに腐敗が進んでおり、発掘委員会は墓を今の包公園内に移動させると同時に、当時と全く同じ金絲楠のひつぎを作り直そうと提案した。しかし、金絲楠は中国でも一部の暖かい地域にしか生育しておらず、適した木材を見つけることは困難だった。

 そんな理由で作業が滞っていた時、福建省から一本の電話がかかってきた。電話の向こうからはおじいさんの声。自分は包拯の35代目子孫で、名を包浩源といい、新聞で包拯墓の修復作業が行き詰まっていることを知り、ぜひ力になりたい、と言う。話によると、自分は福建省の漳州で金絲楠の林を所有しているから、そこでひつぎに使える木材を取れないか見に来てほしいとのことだった。

 委員会のメンバーはそれを聞くと、すぐさま漳州へ向かった。80歳を超えた包浩源さんは自らメンバーたちを案内し、木々を一本一本観察して、使えそうな木材を探した。彼は息を切らしながら、「これまで自分の先祖の精神に励まされて来たことが多々ありました。私ももういつ亡くなってしまうか分からない年です。せめて生きているうちに、何か恩返しをしておきたいんです」と言った。委員会のメンバーは、その言葉に感動しながら、包さんの林から良質の金絲楠を22本切り出し、合肥へ持ち帰った。そして見事、再建作業を完了させることができた。

今、包拯が眠っているひつぎは、その子孫によって提供されたものであり、包拯の精神が後世にしっかりと受け継がれていることを物語っている。

 

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